それでは、一体どれが本当のペチの歴史なのだろうか。過去にペチの人々と交流した人間が書いたものだろうか、それとも子供の頃に祖父母から言い伝えを聞いたお年寄りの話だろうか。全ての話は語り手の好みに反映され、また時間の経過に伴う内容の変化(加えられたり、失われたり)も話に影響を与える。
伝説や神話と評される語り継がれた話と、人類学者による出版物や宣教師の覚え書きとでは、後者の方が歴史的事実としてより受け入れやすいかもしれない。しかし私は、ぺチの場合、これら二つが一つの歴史を作っていると見ている。伝説はもともと歴史的な出来事から生まれ、出版された話は一人の人間の印象や推断によって書かれている。両方とも、突き詰めると根拠の怪しい内容が殆どかもしれない。が、どちらもペチの人々と密接に関係しているのはたしかであり、漠然とした中でもペチのイメージをそれらから得ることが出来る。
私達はラスマリアス村で長老格のお年寄り数人と話す機会を得た。何人かは村が出来る前からそこに住んでいるという。彼らの多くが、ペチの歴史は本にある話ではなく、子供の時に祖父母から聞いた話だと信じている。取材を重ねるうちに、お年寄りが信じる歴史は若い人々にとって、単なる伝説に過ぎない事が見えてきた。スペインによる征服と同化の始まりからが、若者の間では歴史なのだ。
村の長老ディビオ・ラモス氏と姉のカタリーナ・ラモスさんとの一週間以上にも及んだインタビューから、ぺチにまつわる話を紹介しよう。
「今から500年前だったろうか。5千から6千人くらいのペチがプラタノ川周辺に移ってきた。彼らがどこから来たのかはよく知らない。南アメリカだと聞いたこともあるが、たしかじゃない。ただ、彼らは初めにCasa
Blanca (白い家)の近くにあった Chilmeca という場所に定住したらしい。」
私はディビオ氏に、Casa Blanca
が何かを聞いた。
「私の祖父母が生まれた所だ。私が子供の頃、祖父が白い石の彫刻で出来た街で育ったと話してくれた。それがCasa
Blanca だった。」
Ciudad Blanca
(白い街)という消えた謎の街の話を、ホンジュラスでよく耳にする。Ciudad
Blanca
を探すため、今までにも数々の国際的な遠征が行われていた。僕はCasa
Blanca が その謎の街と、何か関係があるのかを聞いた。
「同じ街だ。神が創った街なんだ。巨大な石が様々な形に彫られ、動物や大きな石うすなんかがあった。」
僕は、どうして人々が神の創った街を棄ててしまったのか、なぜこれだけ探しても、今もってその街が見つからないのかを聞いた。
ディビオ氏が答えた。「祖父の話では、あの頃ぺチの中で1人だけタワカインディアンがそこに住んでいたそうだ。しかし彼は人々に酷使され、Ciudad
Blanca を呪いながら去っていった。その後ひどい疫病や災難が街を襲い、人々はここではもう生活が出来ないと判断して街を出ていったという。」
その後ペチの人々は、もっと恵まれた土地を探して川を下り、”Sakorska
Uya”(書かれた大きな石)にたどり着いた。大きな岩石画が残るこの場所は、現在でも訪れることが出来る。彼らはそこにしばらくの間住んでいたようだった。集落があった形跡として、果物の木がこの地一帯に密集している。
プラタノ川に移住したぺチの人々が、たしかに住んでいたといえる最古の場所が、この
Sakorska Uyaになる。
それから彼らは下流に移り、 Buena
Vistaという村を作った。およそ70〜80年前のことだ。ディビオ氏やカタリーナさん、数人の長老達がそこで生まれている。なぜぺチが
Sakorska Uya
を去ったのかはわからない。多分、下流の方が食料が見つかりやすいとか海に近いからという、単純な理由だったのかもしれない。彼らは次に、Buena
Vista から少し下流の Quiaquimina
という場所に移った。しかし数年でまた Buena
Vistaに戻り、30〜40年前ついにこのラスマリアスに移動してきたのだった。
ラスマリアス村での、ぺチの歴史は40年ほどしかない。それは同時に、ぺチ文化が最も外部の影響を受けた期間でもあった。その当時、ミスキトスの人々は沿岸一帯に住んでいた。しかしひどいハリケーンに見舞われた後、食料難に陥ったミスキトスは川を上り、ペチの食料を横取りしてしまった。
その後Buena Vistaに戻ったペチは、数年後再びラスマリアスに移り住むようになり、今にいたっている。
以来、ミスキトスの人々(男達が殆ど)は、沿岸よりも遥かに豊かな土地のあるラスマリアスに移り始めた。彼らとペチとの異種族間の結婚が進み、ミスキトスの文化や言葉はラスマリアスにかなり広がっていった。
ドンディビオとドナカタリーナが語ってくれたペチの歴史は、私達の興味をそそる話ばかりだった。二人の話によれば、消えた街
Ciudad Blanca の伝説がぺチの歴史に基づいていることは間違いない。彼らは、祖父母から街の話を聞かされたことを現在も覚えている。たしかに、祖父母達がまるで自分達が住んでいたかのように、祖々父母から聞かされた話を彼らにしたというこも有り得るが。
時々、細かい内容で二人の話が違うこともあった。しかし、ほんの些細な部分の食い違いだけということは、大筋の内容に関して二人は同意していると考えられる。
―Ciudad
Blancaという場所があり、そこに彼らの先祖が住んでいた。―
歴史もしくは伝説が裏付ける”Ciudad Blanca の存在”は、人々に夢を抱かせ、謎の街発見のため数多くの遠征が組織された。未だにそこは発見されていないが、私達がラスマリアスに滞在する間、また多くの話を聞くことができるだろう。
注:年に関しては、話してくれた長老達の記憶をもとに概算している。
Ciudad Blancaについて(数冊から引用):
”彼らの言い伝えに、 ペチの神 Wata が雷と稲妻で創った
Ciudad Blanca
(白い街)という消えた街の話がある。そこは、ペチの原始祖先
Patatahua
の街と信じられている。街では、大きな石が動物や伝統楽器、うす石の形に彫られてあった。
大昔に棄てられたこの街
が将来発見されれば、未記録の近代文明の存在を明らかにすることができるだろう。”
”Ciudad Blanca (白い街)の伝説は、Ciudad de los Antiguos (大昔の街)or
Cerro de la Palmera (ヤシの丘)としても知られている。ぺチ語では、Wahia-Patatahua
(祖先の村、原始の村)と呼ばれている。”