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Jean-Philippe's journal ニカラグアの国境に近づくにつれ、かなり生々しく、恐ろしい事件を耳にするようになった。「ニカラグア北東部の沿岸は危険だ」と、僕達はいつも聞かされていた。この地帯は、反政府ゲリラの隠れ家となっているからだ。基本的人権のために闘う彼らの立場はよく理解できるし、彼らが過半数を占めていたにもかかわらず、アメリカが介入して現政府が発足したという歴史もある。当然、僕達がアメリカから来たなんて事は言えない。しかしどこ出身でも同じ事、彼らにとっては全てがガイジンだ。 僕達がニカラグアへ向けラセイバを出発した時、このくらいの情報はすでに知っていた。当然、事前の対応策を考えなければならない。その時僕達は、練りに練った計画なら危険も回避できるのではないかと考えていた。 その中で一番ショックだったのは、各種の機関や団体で働く人々からの情報だった。それによると、ホンジュラスとニカラグアの2国間で海領域をめぐる問題がこの数週間で深刻化し、ホンジュラスの軍隊が、モスキチアに駐留するニカラグア軍隊との対立を予想して国境付近へと動いているというのだ。 (5月初旬、ジョンフィリップとルークは無事ニカラグアの国境を超え、モスキートコーストをパドルしています。訳者より) 英語テキスト:The Fear of Nicaragua Lost Equipment and Brief Review of our favorite gear モスキチアのパトゥカ岬へ向け、僕達は真夜中に出発した。波は大きくなかったが、悔しいことにそのなんでもない波に、今までで一番多くの道具を持っていかれた。 問題は、なくした道具の買い替え費用ではなく必要性で、これらは遠征中の今とても必要な物達だ。それに、アメリカまで戻らなければ手に入らない物ばかり。ビルジポンプがなければ、波打ち際から出発の後カヤックから水を取るのに大変な目に遭う。 GPS がなければ、目的地まで行くのに時間も距離も長くなるし、夜のパドルが困難になる。サングラスなしで昼間パドルするのは、これまた不可能だ。 これを書いているうちに、去年日本の編集者に聞かれた質問を思い出した。「一番大切な道具、物は何ですか。」難しい質問だ。カヤックとパドルは遠征の足、ドライバッグは持ち物を水から守ってくれる。食のためのクッキング用品、野外を快適な空間にするキャンピング用品、進むべき方向を教えてくれるナビゲーション用の道具、薬品類、遠征の記録のためのコンピューターやカメラ等など、大切な物は数え切れない。 Pelican waterproof protective cases MSR Dromedary water bags MSR Stove SealPack dry bags Five-Ten Nemo Shoes REI desert pants (detachable shorts): REI Explorer shorts Thermarest sleeping pads Snap Dragon spray skirt Garmin GPS Toshiba Libretto computers 注:スポンサーから提供してもらった物(例;ペリカン、REI、Five−Ten、Grarmin)やそうでない物(カスケードデザイン、東芝、Snap Dragon)が混ざっているが、このリスト作成においてスポンサーシップの有無は全く影響されていない。また、使う機会が少ないのでこのリストには載せなかったが、この他にも非常に良いものがある。 英語テキスト:Lost Equipment and Brief Review of our favorite gear 強い向かい風が吹く中、10日間で約300kmをパドル。この10日間はずっと、自分達の限界に挑戦し続けているようなものだ。天気や海の状態を見ながら進むために、とんでもないスケジュールでも僕達は無理矢理パドルし続けた。おかげで疲れが取れず、常に体が重い。それに不規則で貧しい食生活では、過度な体力消耗や睡眠不足を補えるはずもない。もう一品のおかずのように、鎮痛剤を飲んでいるにもかかわらず、筋肉が「もう、やめてくれー!」と叫ぶように激しく痛んだ。僕達はへとへとに疲れ、ブルスで1日休憩しようと考えていた。が、町のあまりの汚さを見て愕然とし、先へ進むことにした。 朝4時半、運河にカヤックを運び始めた。自分達が歩いている臭くてどろどろした道にカヤックがつかないように必死に担ぐ。汚くよどんだ水が、ふくらはぎの深さになった所で今度はカヤックを引きずり始めた。水の下に隠れている尖った物などを避けるべく、用心しながら進まなければならなかった。見ただけでも分かるが、その臭いのひどさたるや、本当に耐えられない。ようやくパドルをし始めたが、足はデッキにだしっぱなし。とにかく、ましな水の所で足をすすいでからじゃないと、カヤックの中に入れる気がしなかった。ブルスの恐ろしく汚い泥や水と一緒にパドルなんてしたくない。 かなり広大なブルスのラグーンを出て海に出る場合、二つの方法がある。まずは、一つしかないラグーンの出入り口へ行くために、反対方向に約18kmパドルして戻らなければならない方法。もう一つは約8kmをパドルしてから、カヤックを引いて砂州を超える方法だ。僕達は二つ目を選んだ。夜が明けてまもなく、僕達は砂州に到着した。目前に広がる光景を見て、思わずため息がでた。海が大荒れに荒れ、巻き上げられた砂で茶色くなった波がそこら中で崩れていた。こんな状態で出発しようなんて、自殺行為に等しい。数日前死にそうになったばかりだ。 カヤックや荷物を砂州に運び込んだ後、ルークは昼寝をし、僕は本を読んで時間をつぶした。数時間後、波はまだ大きいものの、海が穏やかになったように見えた。強い向かい風が吹いていたが、僕達は先へ進むことにした。初めに僕が出発し、ルークはそれをビデオにおさめた。海はそれ程ひどい状態ではなく、技術的に大変というよりむしろ、波のパワーが強すぎるのが問題だった。大きい波が次々と崩れ、爆発したような飛沫をあげた。いくつかの波を突っ切った後、もうどうにも出来なくなった。押し寄せる波の勢いに負け、必死にパドルしてもまったく前に進めない。全力で挑んだ数分後、僕は波にもまれ、半分沈みかけていた。へとへとに疲れ、出せる力なんてもうなかったが、波は容赦なく襲ってきた。波の勢いにはもう勝ち目がなく、「もうだめだ。」と本気で思った。数メートルもある波が壁のように立ちはだかり、僕を叩きのめしていく。ここで力尽きてビーチまでさえも、無事に戻れなくなるんじゃないかと不安になってきた。 しかし、ここであきらめるなんて絶対嫌だ。見れば、右側の波の崩れがそれ程ひどくないのに気がついた。なんとか超えられると思い、力を振り絞り方向を変えて波へ向かっていった。 10分程経ったろうか、ルークが元気そうなのは見てとれるのだが、何をしているのかがさっぱりわからない。カヤックをビーチに置き、あちらこちらを歩いている。何が起こったのか分からず、僕はイライラしてきた。時々、修理か出発の準備をするかのようにカヤックのそばにいたかと思えば、また歩きだす。僕に戻って来るよう合図も出さないから、海上で待つしかない。 ついにというか、やっと30分程経ってルークは再度出発を試みた。彼は波の崩れがひどくない一番良い場所を狙い、こちらへ向かってきた。時々波で隠れてしまう彼の姿と行き先を目で追いながら僕もパドルを続けた。 僕達が再びパドルし始めた時には、すでに顔面直撃の強烈な風が吹いていた。風の他にうねりや潮の流れとも闘わなければならず、長く苦しいパドルとなった。遅々として進まぬ一時間半後、今度はルークが切れた。「何でこんなバカなことやってんだ、俺達は!全然進んでないじゃないか!!!」続いて僕まで腹が立ってきた。もう2人とも疲れきり、この数日間で神経も体力もすり減らし限界まできていたのだから仕方がない。 僕は、どうやって明日からのスケジュールを組もうか迷ってきた。波が高ければ、真夜中に出発するのは無理だ。判断するのも難しいし、波を見なければ出発のタイミングも分からない。かといって夜が明けた後に出発すれば強い潮の流れや強風にさらされて、短い距離をカバーするだけでへとへとに疲れるのがおちだろう。今も、2時間で7kmちょっとしか進んでない。穏やかな海なら、2時間で13kmくらいは無理なくいける。 長い一日が終わり、僕達はビーチにカヤックを引き上げた。一日中パドルしてたったの約16km。本当、気が滅入る。 英語版オリジナル:A Hell of a Day to Escape from Hell (4/11/2000) 「パトゥカは危険だぞ。」ブルスの人々から何度も聞かされた。パトゥカの住民全員が銃を持ち、海ではパワフルなモーターボートで通行人を待ち伏せして襲撃するという。奴らは殺人だっていとわない、とも言われた。早朝パトゥカに向け出発した僕達は、なんだか気が重い。パドルしていても、ブルスで聞いた話が頭から離れない。そんな中、モーターボートの近づいてくる音が聞こえた。見上げるとそのボートが僕達めがけて向かって来ていた。一瞬ぎよっとしたが、乗っていたキャプテンの笑顔を見て救われた思いがした。彼は乗客をブラスまで連れて行く途中で、後で戻ってくると言い去った。それから一時間後、僕達がパトゥカ到着間近に、モーターボートの彼はたしかに戻ってきた。 1時間後、僕達はパトゥカのちょうど前あたりまで来た。ボートに乗った完全武装の泥棒達は見当たらず、彼が僕達の様子を見に来てくれていた。彼が来てくれていてホッとした。海と続いているはずの川の入り口が高波のおかげでどこにあるのか見えずに困っていたのだ。ボートで送ろうかという彼の申し出を再度丁寧に断り、僕達は彼の後に続いて波の中を川の入り口へとパドルした。僕達の新しいミスキト族の友達フェリシアンドは、兄家族と一緒に朝食を食べようと僕達を誘ってくれた。 ここで僕達は、この1週間で2回目のイグアナ料理をごちそうになった。今回はイグアナ+イグアナの卵が出てきた。まずはルークが、イグアナの卵を口にほうばった。・・・2分後、卵は未だにルークの口の中。彼はガムみたいに卵を噛み続けていた。あきらめたルークは卵を口からつまみ出し、「こんなの、どうやって食えるんだ!?」と言った。続いて僕も卵を口に入れてみた。全くルークの言う通り、これはどう考えたって呑み込めない。ミスキトスの人々にとってはイグアナの卵はすごいごちそう、珍味の一つだから、まさか食べない訳にはいかない。しかし、ゴムの固まりみたいなこの卵を丸呑みするなんて、想像もしたくない。考えた挙げ句、僕は卵をなんとか噛み切ろうとした。と、中からとろーっと濃厚な黄身が出てきた。ここでやっと僕達は、この卵は外側をただ噛み切って、中の黄身を吸い出すんだと分かった。 英語テキスト;Patuca: The Most Hospitable Bandits (4/12/2000) Masochism on the Nicaraguan Coast 自己虐待の心理なんて僕にはさっぱり理解できない。これと関係して、多重人格症をわずらうエド・ノートンが自分で自分の顔を殴りだすという映画”Fight Club” を見てショックを受けた。この映画を見ながら、そんなことをする奴が本当にいるのかと思っていた。しかしホンジュラスからニカラグアへ向かうカリブ海沿岸、真夜中からぶっ通しの14時間 63kmに及ぶパドルを”自己虐待”と言わずして何になる。それに、自分の体中の筋肉に拷問を与えているだけではなく、眠気覚ましに僕は思いっきり自分を叩いたり噛んだりもした。怪我をせずに、どれだけ自分に刺激を与えられるかテストしているようなものだ。これを撮影すれば、あの映画とぴったりのシーンが間違いなく撮れる。 実際、僕達は昨日の夜10時からずっとパドルし続けている。連日の苦しく長いパドルの延長だ。それに僕は、星を見ながら位置の確認(スターナビゲーション)をするため神経を集中させっぱなしだ。しかし、目当てにしている星は雲の後ろに隠れるし、夜空を見上げた状態のままパドルするから、かなりきつい。じっと曇りがかった夜空を見つめ、隠れた星がどこにあるのか、また、どこから再び現れてくるのかも推測しなけらばならない。首は凝ってくるし体中の筋肉が痛むのに、睡魔は襲ってくる。眠気覚ましのために僕は速くパドルしたかったのだが、ルークの体調が悪くてそうもいかない。 午前3時。見え隠れする星を凝視するため空を見上げたままゆっくりとパドルを続けた5時間後、眠気で目さえも開けていられなくなった。5分くらい星が見えていたかと思うと雲の後ろに隠れたり、時には僕の瞼が閉じて星が見えなくなった。初めは、パドル1回分くらいの短い間隔で目が覚めたのに、2回3回分とだんだん間隔が長くなる。こんな状態が頻繁に起こり、目をつぶってパドルしている方が多くなった。気分は最悪、僕は眠気を覚ますため指(爪の付け根部分)をおもいっきり噛んでみた。初めの2,3回は効果があったけれど、その後は鈍い痛みにしかならない。今度は舌先や唇を噛んでみた。が、少しの間目が覚めるだけでたいした効果はない。 夜明け1時間半前くらいになっても、一休みできるようなビーチは見つからない。さっきは流木の大群に阻まれて、ビーチに行けるどころか立ち往生寸前であった。選択肢もなく、僕達はパドルをし続けるしかない。そうなると、僕はスターナビゲーションをし続けなければならない。普通なら、どんな天気だろうがナビゲーターの役目をきちんと果たす。が、半分眠ってパドルしている今の状態では、目を覚ましたらアフリカへ向けてパドルしていたなんてことになりそうだ。しょっちゅう頭に海水をかけるが、目が覚めるほど冷たくもないからすぐ眠くなる。最後の手段として、自分を叩くことにした。軽く叩く程度なら指を噛む方がはるかに効果があるから、思いっきり叩く。5分おきにパドルを置いては、自分の頬やおでこ、首を力いっぱい叩いた。実際これで数分は目が覚めた。 岸側に目をやると、後ろの木々が殆ど見えない程密集した森が広がっている。ここが、遠征開始から思い描いていたモスキートコーストだ。ビーチがなく、まるで津波や嵐がすべてを取り去り、マングローブとは違う海辺の木々の根元に腐った流木だけを残していったかのようだ。 しばらくして木々の間にある砂場を見つけた。2つのカヤックがやっと置ける広さくらいしかない場所で、丸太の上に腰掛けて少しの間休めただけだった。 この遠征で最長の14時間に及ぶパドルの後、僕達はサンディ・ベイ・ノルチの村に到着した。先住民ミスキートの親切な男が家に招待してくれ、荷を運ぶのまで手伝ってくれた。村人の好奇な目にさらされながら、僕達は彼の家にカヤック等を運び入れた。そこで彼の妹に食事をご馳走になった後、ありがたい彼の申し出を受け、僕達2人は彼のキングサイズベットで気を失ったよう眠った。 英語テキスト5/05/2000 - "Masochism on the Nicaraguan Coast" 午前1時、僕達が出発の準備を始めていると、先住民のミスキート一家の主人も起きてきて、カヤックを運ぶのを手伝ってくれたり、運河の出口を抜ける方向を教えてくれた。 出発後僕は、その運河の出口にたどり着くまで、スターナビゲーションで位置を確認しながらパドルをしていた。(近づく度に変化する陸の形から推測するよりは、良い手だと思う。)が運河に入ると、まるで迷路に迷い込んだように水路がいくつにも別れ、途方に暮れてしまった。この運河に到着した時は63kmもパドルした後でへとへとに疲れていたので、そんなことにはまったく気がつかなかった。迷路をパドルして1時間後、遠くから聞こえる鈍い波の音や、膨らんだ膀胱を刺激するように繰り返し打ち付ける波の振動がヒントとなって、海を隔てた砂州へ間違いなく進んでいるのがわかった。30分後、僕達は砂州に到着、ビーチで体を伸ばしていた。この先まだ37kmぐらいをパドルしなければならない。湾の横断もなく、海岸線もまっすぐでスターナビゲーションをする必要はなくなった。あとは岸から目を離さずに海岸に沿ってパドルすればいいだけだった。 その後夜が明けて間もなく、僕達が沿岸に沿ってパドルしていた時だ。突然、何か異様な音が聞こえた。「何だ!?」驚いた僕は振り返って言ったが、何の音かなんてもう分かりきっていた。遠くから発砲されたライフルの低くこもった銃声が、水面を伝って響いてきたのだ。昔、軍隊でうんざりする程聞いた音じゃないか。そしてすぐさま2回目の発砲が聞こえた。ビーチに目をやると、一人の男がこちらに手を振っているのが見えた。ライフルを撃った男は僕達に手を振り、ビーチに来るよう合図をしている。しかし男のいるビーチはかなり離れていて、僕がそれに気づいたとは多分彼自身には分からないはずだ。僕達はそのままパドルを続け、少し沖に出た。 その農作業服のガードマンと説得に必死な漁師とが、状況を見るためだと言ってに岬の方へ歩き出した。僕達は初めから、うさん臭い話だと思っていたが、2人が全然岬にも行かず5分もしないうちに戻って来るのを見て、更に信用できなくなった。戻ってきた2人は、僕達が”通行権料”と呼ばれる何がしかの金を払えば、岬を無事に通ることが出来るんだと、まるで盗賊達と話してきたかように説明した。 その後僕達と5人の男との押し問答が出口の見えないまま30分以上も続き、初めのうちは親切だった漁師達が、僕達に業を煮やし始めた。特に小柄だががっちりした体格の漁師は、大きいダイビングナイフの先を僕達のカヤックの方に向けてちらつかせ、「こんな布製カヤック、いとも簡単に切り裂かれるぞ」と言わんばかりだ。一方、銃を持っているガードマンは落ち着き払って、「それで、どうするんだ?俺達が奴等に金を持っていけば、おまえ等は無事に通ることが出来るんだし、銃を持っている俺がガードのすれば安心だろう?」と言ってきた。 相変わらず男達の脅しは間接的で、岬の盗賊を悪者に仕立て、僕達の安全のためだと言って、男達は僕達を無理矢理引き止めていた。おまけに「おまえ達の命を救わなければ、神がおれ達を許さないだろう」などと言い出す始末だ。 ルークが100コルドバを取り出すと、僕は男達に「このお金で、僕達が安全に通れるように盗賊と話を付けてもらえると本当に助かるよ」と言った。彼等はこれに同意すると、僕達はまるで親友のように男達と握手を交わした。その後、彼等は僕達に神の恵みがあらんことを祈りながら、荷物満載のカヤックを海へ運ぶのを手伝ってくれた。最後まで嘘をつき続ける彼等は、岬から離れてパドルするように念を押し、僕達も彼等に礼を言いビーチを後にした。当然の事ながら、金を持っている彼等が岬の方に行く様子は全くなかった。僕達が彼等の本当の目的に気づいていたことを、彼等だってとっくに分かっていた。しかし、ほんの少しの金、というより寄付金のおかげで双方ともに、最悪の状況は回避されたのだ。 沿岸から離れると、僕達は笑い出した。まだあの時の緊張感が残っている気もするが、思い起こせばまるで笑い話のような結末だった。この遠征で武器を持った泥棒にやられたのも、実際にAK47を見たのも初めてだった。ほんの8ドルであそこから抜け出せたのは本当にラッキーだった。 あの時は恐くも何ともなかったにもかかわらず、僕は時間の経過と共にだんだんと不安になってきた。夜のビーチでキャンプなんてまっぴらだ。僕はルークを待って、彼に「プエルトカベッサスまでずっとパドルした方がいいと思うんだ。」と伝えた。 プエルトカベッサスまでの約63kmをパドルし、僕達は到着後一軒のレストランの前にカヤックを引き上げた。へとへとに疲れながら、港のキャプテンやイミグレーションに赴き登録を済ませた。ホンジュラスからの紹介状のおかげですんなりとことが運び、これで僕達は正式にニカラグア入りを果たす事が出来た。そして、プエルトカッサスで数日休んだ後、僕達は再びパドルを開始した。 英語テキスト 5/07/2000 - AK 47 Sub-machinegun Armed Robbery J-Philippe ジョンフィリップ・スレプロフィール 更新日2000年9月 1日 |