CASKE2000


A MEETING WITH THE MENTAWAI PEOPLE

メンタワイとの出会い

文:ジョンフィリップ・スレ


彼は森の奥深くに住み、僕が来るのを待つために2日前にこの村に来たと言う。何のことだかさっぱりわからず聞き返すと、彼は6ヶ月前に僕の到着が見えたのだと答えた。そしてなぜ僕がシベルト島にいるのかや、僕が彼の家族と一緒に生活するようになることを、すでに知っていると続けた。驚きで言葉が出なかった。うなずいただけで、どういうことなのかは全然理解できなかった。儀式の歌声と鈴の音が体を包んでいくような、夢でも見ているような気がした。彼、マチウスはメンタワイのメディシンマンのひとりだった。

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子供の時から、ジャングルは心ひかれる存在だった。ありのままの自然を受け入れながら生きる方法を、いつか先住民の人々から学びたいとずっと考えていた。初めて訪れるインドネシアで、僕はイリヤンジャヤへ行くことを決めていた。イリアンジャヤで今も原始的な生活を営んでいる人々と、一緒に生活したかったからだ。
まず初めにインドネシア語を習おうと、スマトラ島へ向かった。乗っていた貨物船が、神秘的な島シベルトで停泊した時のことだ。丸太のカヌーに乗った先住民が、ジャングルで収穫したような植物や実を売りにやって来た。僕の心を動かす何かを、その先住民はたしかに持っていた。今まで感じたこともないような気というかエネルギーがあった。彼らがメンタワイだった。独自の黒魔術や毒に畏怖の念を抱く彼らは、信じられないほどの熱帯林の知識を持ち、数ヶ月間にもわたり森の中に姿を消すという。心臓が高鳴った。すぐさま船から降りて、彼らと一緒に生活したかった。が、あきらめた。メンタワイ語はおろか、僕のインドネシア語もその時十分ではなかった。

2ヶ月間、スマトラ島とイリアンジャヤで言葉やジャングルサバイバルを学んだ後、僕はシベルト島へ向かった。頭には、いつもこの島とメンタワイ族のことがあった。行かなければならない場所、きっと僕自身が変わる旅になると信じていた。なぜかはわからない、でもそう感じていた。
シベルト島の中心部まで行くのは容易なことではなかった。メンタワイ族の文化がこれだけよく守られているのは、スマトラ島からボートで20時間もかかる小さな島に、彼らが孤立して住んでいるからだろう。おまけに島の熱帯林は奥深く、土地はぬかるむ泥状だ。普通の人にはまず歩けない。ハイレベルの登山やその他のスポーツ競技をこなしてきた自信から、自分は大丈夫だと思っていた。しかし、その自信はあえなくジャングルの泥の中に沈んだ。
メンタワイ族の村を訪れることも、そう簡単にはいかない。インドネシア人ガイドは、メンタワイ族や彼らの本来の居住地について無知でも仕事が出来る。そしてガイドが仕事できる場所も、政府(軍隊)指揮下の土地に限られている。そうなると、ジャングルの奥深くへ入るのは、正式なガイド無しということになる。
もちろん1人で行くことは勧められない。僕は幸いにも、素晴らしいメンタワイの人達に恵まれ旅を続けられた。更に奥深くの熱帯林へ入って行くにしたがい、インドネシア語は通じなくなっていった。が、不思議なことに、意志の疎通は逆に簡単になっていった。真のメンタワイは言葉よりもエネルギーで通じ合える。腕に触れる彼らの手から、心からの歓迎が伝わってくるのが分かる。

ある日、僕は大きな村に着いた(名前は秘密にしたい)。男は皆、全身に入れ墨を施し、木の幹で作られた腰みのを着け、女達は上半身裸で赤い布のスカートを腰に巻いているだけだ。男も女もその長い髪にハイビスカスなどの花をあしらっている。違う世界に足を踏み入れたはずなのに、なぜか違和感を感じない。時間が経つにつれ、自分がここの人間のような気がしてくる。
夜になり、どこからか鈴の音と低い歌声が響いてきた。聞き流せないような魅力があった。この儀式に参加できるか尋ねると、人々は笑顔とAleuita(メンタワイ語で”ようこそ””こんにちは”の意)で迎え入れてくれた。
30分程経った頃、マチウスという若者が話し掛けてきた。ここでインドネシア語が話せるのはほんの数人。彼はそのうちの1人で、この村で一番若いメディシンマンだった。彼の父親は長老のシャーマン、そして家族のほとんどの男達がメディシンマンやシャーマンだった。

僕は、その後数ヶ月をマチウスと彼の家族と過ごした。彼らと一緒に狩りに行ったり、植物や実を採ったりした。毎日のように歌い、踊り、自然に溶け込むように生活を送る中、マチウスの子供達は熱帯林で生きる方法を教えてくれた。自然環境そのままを受け入れることは易しいことではない。しかし彼らとの生活は正に気持ちのいいものだった。ここが僕の生活の場になり、今まで見失っていたライフスタイルを発見したような気がした。反対に理解できなくなったのは、今まで送ってきた生活だった。メンタワイから学んだことは、ライフスタイルや文化だけではない。自分自身と、人生のあり方を僕は学んだ。以来、人生の見方が大きく変わっていった。マチウスは僕が彼のいとこと結婚して、皆と一緒に暮らしていくことを望んでいた。つらいことだったが、僕はシベルト島を離れることを選んだ。多分、永遠にジャングルの中に消えるという心の準備ができていなかったのだ。しかし、僕の心の一部は未だにメンタワイの森で生きている。僕の人生を動かした力と、現在も続く中米遠征の原点がメンタワイにあるからだ。

(今日、自然災害に加えてインドネシアの開拓者や政府、そして不正観光業者らの悪影響により、いくつかのメンタワイコミュティーは崩壊し、誇り高い真のメンタワイのハンターや働き手を惨めな物乞いへと変えてしまった。)

訳:西山 晴美    更新日 : 1999年 12月 14日

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