CASKE2000          

History of the Kekchi and Mopan Maya of Belize

ベリーズのケッチインディアンとモパンマヤの歴史

今日ベリーズに住むマヤ人のほとんどが移民だという事を知っていただろうか。


ベリーズはかつてのマヤ帝国の中心地に存在しているが、そこに住むマヤ人の子孫の多くはメキシコやグアテマラからやって来ている。原住民のマヤ人は伝染病や交戦の犠牲となってしまったのだ。今日、マヤ人は3つのグループに代表される。メキシコのユカタン半島から来たユカテクマヤ、グアテマラのペテン地方から来たモパ人、そして同じくグアテマラのヴェラパス地方からのケッチ人だ。

僕達はほとんどの時間を、ケッチ人やモパ人の住むベリーズの南トレド地区で過ごした。ベリーズに住むマヤの子孫の中で、大多数を占めているのが彼らだ。そして、彼らの住む地域は最も伝統的で、その文化が受け継がれている地区とされている。そこで、僕達は彼らとその歴史に着目する事にした。

モパ人

3つの民族グループのマヤ人のうち、ベリーズ土着の民族といえるのはモパ人だけである。元々彼らはベリーズの西部とグアテマラのペテン地方に住む低地民族だった。
イギリスがスペインから土地を奪い、イギリス領ホンジュラス(今のベリーズ)を形成した際、イギリス人は素早く内陸部へと進出した。結果、イギリス人はそこで伐採搬出を施し、モパ人は西の方に追いやられるか、疾病で死ぬかの運命を辿った。  
現在のモパ人に繋がる祖先が南ベリーズにやってきたのは1886年である。ペテン地方の奴隷制度と不公平な税収制度から解放されようと、多くの人々が現在の南トレドに救いの地を求めてやってきた。そして彼らはサン・アントニオという都市を作った。ベリーズの西部やトレド地区周辺にはモパ人の小さな村が見うけられるが、今日ではサン・アントニオ市がモパ人最大の居留地になり続けている。

今日のモパ社会は、この百年に渡り変化はあまりしていない。宣教師達はキリスト教の普及に成功し、多くのコミュニティーに上手く取り入る事が出来た。中でも、教会が最も大切な役割を担っている。だが彼らの社会基盤は、未だに暮らしに必要最低限の農業や家族構成、商業、自治でまかなわれている。彼らは、豆やとうもろこし、米、芋類 、カカオ、さとうきびなどの主要産物で生活を支えている。しかし彼らの多くも、近年では現金にかえやすい柑橘類や米を作り、需要の多い農業を試行錯誤しているのだ。しかしながら経済的効果のある主要産業がないことで、彼らは完全に近代化せずに今に至る事が出来たともいえよう。

ケッチ・インディアン

マヤ族のうち、近代最も悲惨な歴史を辿ったのはおそらくケッチ人であろう。本来彼らは、グアテマラのヴェラパス地方に住み、異なった文化的背景を持つグループだった。言葉もモパ人との共通点は見られず、キリスト教改宗者としても、より長い歴史がある。
彼らのベリーズでの歴史の起源は、グアテマラから大量の人口が流失した1870年代や1880年代にある。ちょうどこの時期、バリオスという悪名高い独裁者がラテン人(西洋スペイン人)とメスティソ(スペイン人とインディアンの混血)を集め、先住インディアンから土地を奪い、儲けようとしていた。その時にケッチ人やその他の種族も犠牲になったのだ。ケッチ人らは、バリオス体制に感化されたヨーロッパのコーヒー農園主から、強制的に土地を明渡すよう迫られ、その上奴隷として働くよう命じられた。

南ベリーズに移住した後、ケッチ人はサン・ペドロ・デ・コロンビアというコミュニティをつくり、それがトレド全域に広まった。長い年月をかけ、彼らはモパ人と深い交流を持つ事になる。ケッチ人もモパ人も必要最低限の焼畑農業を慣習とし、アルカルドといわれる自治システムを使用している。彼らはベリーズに住む民族グループのうち、最も貧しく、公権を奪われた人々だといえよう。にもかかわらず、農業と町作りに対する協力的な姿勢を見せる民族としても有名だった。彼らの豊かな伝統的慣習と独立心への誇りが、今日のマヤ文化復興の筋道を作ったのだ。

 

英語オリジナルテキスト: History of the Kekchi and Mopan Maya of Belize
日本語訳:長谷川 詠子

更新日:2000年7月16日