CASKE2000

Blue Creek
Toledo District - Belize

ブルー・クリーク (ベリーズ、トレド地区)

南ベリーズ、トレド地区の奥にあるブルー・クリークは、インディアンによる小さな村で同名の川があり、熱帯雨林に囲まれている。人口の半分はケッチ・インディアンの子孫であり、残りの半分はモパンマヤ人で成り立っている。今日、長老クラスの人々以外は、ほとんど英語に加え両方の言葉を話し、類似していた二つの文化が融合しやがて一つのものになっていった。ブルー・クリークは熱帯雨林にあるロッジ(宿泊施設)の名前でもあり、そこから5分程歩くと、透明な天然プールに流れ落ちる小さな滝もある。
日曜日には近くのプンタゴルダから、ピクニックや川遊びに人がやって来る。僕らはその事で驚きもしなかったが、平日に見るこの村とロッジには驚かされた。そこには静けさや原始のままの姿がある。それは交通の不便さがもたらしてくれていたのだ。僕らはその村、人、環境の全てに惚れ込みもう一度4月に戻ってくることを決意した。

このページでは、村人の生活習慣、文化と環境を守るための彼らの努力、そして真のエコ・トラベラーの為のブルー・クリークにおける可能性の記録を載せている。


村の歴史と概要

19世紀から20世紀への変わり目、5家族のケッチ・インディアンがグアテマラを捨て、今のブルー・クリークがある場所にリオ・ブランコという名の村を作った。彼らは夜の闇に隠れるようにして保留置を逃げ、ベリーズに平和を求めてやってきた。その時彼らはケッチ語と少しのスペイン語しか話せず着の身着のままの状態だった。
現在の村の位置より少し下流に彼らは定住し、川の上流にある洞窟に住むインディアンと出会った。ケッチ人は塩と、インディアンの伝統的な通貨のカカオ豆とを交換し、彼らとの貿易関係を築いていった。
人々の生活は農作物と伝統的な道具作りで成り立っていた。土器を使ってたき火の上で調理し、皿などは土やひょうたんの木から作った。住居は藁葺き屋根と木の薄板を枝で編んだもので出来、現在村で見られる家とは形の違う物であった。テーブルやいすはなく、彼らはハンモックで寝ていた。綿花を育て、自分達で着物を編んだ。彼らは何もない環境から、リオ・ブランコを美しく平和な村にしていったのだ。

1942年に台風ハティーが村全体とほとんどの熱帯雨林を破壊した。ベリーズ全土を通り、リオ・ブランコは跡形もなくなった。リオ・ブランコの生存者達は近くの村のサン・ミゲル・デ・コロンビア、ラグアナそして特に、一番近くにあった村のアグアカテへ移動した。1950年代には、モパンマヤ人が、サンルイスの戦闘を避けるために移動して来ていた、その流域で最も大きな村のサン・アントニオを捨ててここに移ってきた。彼等は美しい川を見つけた時、村をブルークリークと名づけた。そして元々、リオ・ブランコに居たケッチもモパンマヤと共にブルークリークに居ついた。2つの文化は似通っており、互いの部族の男女は結婚もし両方の言葉を覚えるようになった。

外部からの影響を最も受けたのは宗教だった。60年代後半には初めてのカトリック教会が建てられた。グアテマラからのモパンマヤ人のほとんどは、すでにカトリック教徒であり、多くのケッチもその後を追った。キリスト教の宗派のバプティスト、メノニティーそして「祈り人の家」もすぐに広まった。これらの宗派は彼らの日常生活をほとんど変えることもなく、村の生活に融合できた。しかし、70年代に現れたメノナイト派は揉め事を引き起こした。人集めの為に教会が行った強制的行為や裏のある約束事に、今もなお不満を持つ人が多い。メノナイト派がやってきた時、すぐに七割の人がメノナイト派教会に通い出した。が、村人が教会に集まってからは厳しいルールで信者を拘束し、改宗者とそうではない村人との差を明らかにさせた。今日、多くの村人はメノナイトを離れたが、布教者や教会は未だに村に残っている。

70年代にはカトリック教会と政府の助けによって、村ではじめての学校が建てられた。同じく70年代に、フレッドの名で知られるアメリカの生物学者がブルークリークを見つけた。彼はこの場所をたいそう気に入り、教育調査隊のIZE(国際動物学研究)の一部としてブルークリーク・フォーレスト・ロッジを建てた。彼の目的は熱帯雨林の保護や村人の手助け、そして生徒が熱帯雨林の生態系を学ぶ為の特別な施設を提供することだった。
80年代に村人は政府にアグアカテの町から独立できるように請願した。彼等は独自の自治組織やアルカルデと呼ばれる町長制、そして村議会を作った。

今日では、40家族がブルークリークに住んでいる。多くは大きい農家であり、夫婦には平均で8〜9人の子供が生まれる。村は約2kuの公用地を使用している。近くには彼等より裕福な5家族のメノナイトが約0.8kuの土地を保有しており、多少の緊張関係がある。それに加え、外部の経済発展がもたらす村へのプレッシャーもあり、そのため村内での争議も稀にだが見られる。しかし、この村はたいして変わってはいない。だが、それも電気が村に通うになり、職と教育を求めて村を出る若者が増え始めたらすぐに変わってしまうだろう。
イグナシオ・コクというブルークリークのケッチインディアンが1996年よりIZEロッジの経営に関わり始め、あらゆるプロジェクトに着手し始めた。それらは、村人の生活向上の助けや、彼らが限られた環境で健康的に暮らせる為、そして伝統的生活の保護の援助を目標に、IZEと協力して進められている。現在は教育に重点を置いており、ブルークリークをエコツーリズムの成功例に導こうとしている。


ブルークリークとその周辺のエコツーリズム・アクティビティ

*イグアナのキャッチ・アンド・リリース

*洞窟探検
 ・水辺の洞窟―洞窟の中を滝まで泳ぐ

*森での生活の仕方を学ぶ(サバイバルページへ)

 ・ジャングルでの食用植物や清流の見つけ方
  ・罠
 ・ジャングルでコフネ椰子の葉を使っての小屋(シェルター)の作り方


現地のガイド情報

イグナシオ・コク:

熱帯雨林内のロッジのマネージャー兼、ブルークリークのガイド。ナチュラリスト、サバイバリスト、献身的な父親、コミュニティの重要なメンバー、人格者としての評判が高い。そんな彼だが、軽いジョークを誰にでもかましてくれるだろう。熱帯雨林のロッジやガイドの仕事を管理し、ブルークリークのコミュニティを助ける為の多くのプロジェクトをも動かしている。それらは、現代の市場経済という現実に取り組む手助けと同時に、マヤの伝統も残していけるだろう。自然や文化的なアクティビティに興味がある場合は、イグナシオとコンタクトを取るといい。

ペドロ・アク:

イグアナにおけるナチュラリストでカカオの専門家。彼の陽気ないたずらっ子的なふるまいと小柄な体型は、キャッチ・アンド・リリース・ツアーで見せるイグアナ取りでの驚くべき機敏さと強さの引き立て役になっている。彼の息子ロベルトと2匹の犬が素晴らしい同伴者になっている。

フアン・イカル:

森の中での枝葉、鳥、洞窟の扱いを得意とする。親しみやすさがあるが性格は控えめ。寛大な人。彼のアクティビティへの参加意識は期待でき、一瞬見せるしかめっ面の笑顔も特徴の一つだ。洞窟内や、ひさしのように張り出した岩の上での案内はお手のもの。なんと、彼は奥さんの出産日にもガイドの仕事に立ち会ったのだ。

セシリオ・コク:

動物扱いの天才。イグナシオの弟。兄と並ぶ程森に精通している。蛇や蜘蛛、その他の魅惑的な動物の扱いの天才。彼は満面の笑みでタランチュラを手渡ししてくれるだろう。

ヘラルド・ポップ:

伝統的なトラッピングとトラッキング、さとうきびの精製を行う。若い家庭人、器用な職人そして熱心な教師である彼は祖父と父親の伝統を受け継いで、砂糖精製プレスを動かしている。

ブルークリークロッジ

木々の枝葉が頭上を覆うこのロッジは、IZE(国際動物学研究)による熱帯雨林の教育プロジェクトとして始まった。イグナシオが管理し、数グループの学生団体を毎年受け入れている。立ち寄り客にも利用可能で、ブルークリークでのジャングルアクティビティのベース地としても使える。

ルークリークはケッチとモパンマヤの文化を学ぶには最高の場所である。

●より詳しい情報はイグナシオ・コクを通してどうぞ。

Ignacio Coc
P.O. Box 133
Punta Gorda
Central America
fax (501) 7-22199


ブルークリークのこれから:

・子供と教育
村の将来は子供達にかかっている。教育問題と取り組みについて。

・電気―近いうちに引かれる。どのような方向で村に影響を与えるのだろうか?


ブルークリークへの道順

交通の便は良くない。最もアクセスしやすいルートはマヤ・アイランド航空とトロピック航空をつかってプンタ・ゴルダに入ることだ。イグナシオへ事前にファックス(501―7―22199)をし、送迎のアレンジやレンタカーについて、もしくはバスの時間を尋ねるといいだろう。
バスのスケジュールは以下の通り:
月曜日、水曜日、金曜日プンタ・ゴルダからアグアカテまでのバスが正午12時に町の中心から出発する。30分前にはバス乗り場にいるべきだろう。


英語オリジナルテキスト:Blue Creek Toledo District - Belize

翻訳:長谷川 詠子

更新日:2000年4月 12日


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