カヌーの不安定さや技術の必要性は、彼らから学んだうちの一部に過ぎない。僕はメンタワイ族との生活から人々が忘れてしまったライフスタイルと生活環境に触れ、どうやって自然と調和しながら生きていくのかや自分の生き方についても考えさせられた。僕はこの経験をどうしても他の人々へ伝えたい、一緒に分かち合いたいと思った。
しかし、どうやって新しい冒険へのチャレンジと先住民族の人々の生活を記録することとを組み合わせていけるのか、日本に来る前はわからなかった。
僕達は札幌で遠征計画を立てていたが、カヤックトレーニングはまだ始めていなかった。遠征前5ヶ月間で必要な技術を物にするには、自分達だけでは無理だ。そこでカヤックと海に関して豊富な知識と経験を持ち、東南アジアでエコツーリズムの会社を経営しているジョン・グレイに僕は連絡をとった。僕はジョンにカヤックを教えて欲しいと頼んだが、彼にあっさり断わられた。彼は無経験の僕達がこのとてつもない遠征を真剣に考えているとは信じなかったのだ。僕達は自分達がどんなに優秀なアスリート(スポーツマン)なのか、そしてこの遠征の重要性を考えるとあきらめるわけにはいかない、彼の助けがあってもなくても遠征に出発することを彼に伝えた。ジョンはこの遠征をやめるよう僕達を説得したが、僕も何とか自分達をトレーニングしてくれるよう彼を説得し続けた。
そして最後に彼は条件を出した。98年の4月第1週目にプーケットに来ることが出来、海で1kmを14分以下、クロールで泳ぎ続けることができたら、ただでカヤックトレーニングをしようということだった。これしかない!このメールを受け取ったのは、97年10月最後の週だった。僕は水中やフィンをつけて泳ぐのは得意だったが、実はクロールの泳ぎ方を良く知らなかった。条件をクリアするため、仕事・遠征計画・ホームページ作成の合間を縫って、僕の水泳トレーニングが始まった。友人のほとんどが「絶対に無理だ。」と言う中で、ルークだけは応援してくれた。
そして3月。ほぼ準備が整った。大吹雪の中を4月2日に僕達は真夏のプーケットへと飛んだ。
2ヶ月間のトレーニングで僕たちは、海・気象・海流・波・水泳・その他航海術について講義を受け、そして毎日パドルをした。カヤックトレーニングで基本からそれ以上のことまで全てを習ったが、時期的に大きい波が来ないため”サーフカヤッキング”をする機会があまりなかった。しかしそれは後に、サンディエゴで経験することになった。
僕達はサンディエゴにいるエド・ジレットとコンタクトを取っていた。エドは85年、カヤックでカリフォルニアからハワイまで単独完全無給で横断したすごいカヤッカーだ。僕達はエドと一緒に数回カヤックをし、海上の経験をもっと積めばサーフをマスターできると感じた。遠征の第1ステージに、バハのコルテツ海を選んだ理由はここにある。風は強いが波は太平洋・大西洋沿岸よりも穏やかで、遠征しながら練習を重ねるにはちょうどいい場所だったからだ。
確かなレベル・技術まで到達した後は、エドの言葉道理「やる気があるのか?」に尽きる。実際にやってみなければ、いつまでたっても出来るかどうかなんてわからない。やる気があって、綿密計画をキッチリ立てられる人なら、きっと行動に移せると僕は思う。