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Jean-Philippe's journal

iguana

ジョンフィリップ遠征日誌

ベリーズ&グアテマラ 1999

Blue Creek

ジョンフィリップ遠征日誌 バハ編 /ホンジュラス編 /ニカラグア編 /コスタリカ編


318 ハードな1日、ギア輸送とベリーズでのカヤック初日

3月23日   サメと遭遇!

4月中旬   プラセンシア、ブルークリークとグロバーズリーフ

4月29日 ブルークリーク1日目

5月26日 ワニ恐怖症

5月27日 ワニに立ち向かえ!


1999 318 ハードな1日、ギア輸送とベリーズでのカヤック初日

  朝4時にアラームが鳴った。ルークと僕は起き出して、一番重い3つのバッグを泊まっていたバンガローから道路に運び出した。バスが間違いなく僕達を拾うよう念を押すためルークがバスターミナルまで行き、僕は全部で200kg以上はある残りの荷物を道路に運び続けた。
  445分。15分早く、古い急行バスが急ブレーキをかけながら止まり、山のように道路に積まれた荷物に向かってバックした。運転手や車掌の手を借りてルークが荷物をバスの後ろへ積み込んでいる間も、僕はまだ最後の荷物を運び続けていた。バスの一番後ろは僕達の荷物で一杯になり、後ろのドアまで塞いでしまった。バスの乗客は僕達の荷物を飛び越えて乗る羽目になった。

  ベリーズシティーに到着。川の前にある庁舎近くでカヤックを組み立てようと考えていたら、バスの運転手がそこまで直接乗せて行ってくれた。僕達は山と積まれた荷物を桟橋に置き、カヤックを組み立て始めた。バハ遠征で舳先(へさき)部分のフレームを壊したので、新しいものを手に入れておいたのだが、なんとそれが合わない。ルークはそのフレームを2.5cm切り落とさなければならなかった。幸運にもボートを待っていた乗客の1人が金属用のこぎりをいくつか買っていて、僕達に1つ売ってくれた。
  やっとカヤックが出来上がった頃、ベリーズのテレビ局が取材に来た。僕達がベリーズ川から漕ぎ出すところを撮影したかったようなのだが、カヤックの周りには全部で180kgもの荷物が置かれたままで、出発にはほど遠かった。2時間後、テレビ局の取材班が戻ってきても、僕達はまだ防水バックにすべての用具を詰め込むのに悪戦苦闘していた。バハ遠征の経験から、ギア(装備等)は簡素化しておいたはずなのだが・・・。単に荷物の詰め方を忘れてしまっていたのか、新しい物が増え過ぎたのか。(新しい用具は蚊帳・虫除けシャツ・なた・海用ラジオ・牽引ロープ等)
  どうにかカヤックに荷を積み終えたが、カヤックケースやその他輸送に使った袋をひとまとめにして置いていかなければならなかった。僕は近くのマリーナへ行き、そこのマネージャーに頼み込んだ。マネージャーは快く引き受け、バックを1ヶ月間預かってくれることになった。午後5時、やっと準備が完了した。

1の目的地、ランデブー島には2日間で到着する予定だった。1週間休みなくコンピュ−ターに向かい続けた後だったから、今日はまずウォーター島までの約18kmをパドルするのがいいと思っていた。 しかし、すでに午後5時ともなれば他を考えた方がよさそうだ。
  僕達は街から見える唯一の島までパドルすることにして、夕日が落ちる頃その島に到着した。が、着いてがっかり。そこはマングローブが生い茂り、到底キャンプできそうな場所ではなかった。おまけに1分後、蚊の大攻撃に遭い、またパドルし始めなければならなかった。

何日もかけ周到に旅の計画や準備をしていると、時々基本的なことが頭から抜け落ちることがある。今日の僕達がそうだった。ルークも僕も相手が小型懐中電灯を持っているだろうと思っていた。が、どちらも無し。電池も小さい袋の中に仕まい込んでいて、カヤックに乗っていてはまず取り出せない。
  空はどんより曇っていて、月が出ていない暗闇ではコンパスも読めなかった。30分ほどパドルして、腕時計の弱いライトでコンパスを確認した。風が強すぎて、止まる度に僕たちはベリーズ本土の方へ流されていた。完全に体がなまっていて、パドルの調子もなかなか上がらない。昨年12月のラパス到着以来、やっていたことといえばホームページのためのコンピューターワークだけ。パドルを握りしめている掌にはすでにひどい水脹れが出来上がっていた。筋肉も痛み出し、気力もなくなってきた。
  あっという間に夜の闇が辺りをいっそう暗くすると、雲が星を隠し黒い影が僕達を包みこんだ。そして今度は雷と共に雨が降り始めた。
  これからどうするのか話し合うため、僕達は一旦パドルを止めた。今ベリーズシティーへ戻るとすると、ここから約11kmパドルし、寝るのはかなり治安の悪い街の桟橋ということになる。さっきのマングローブの島に戻ることも考えた。その島でカヤックを木につなぎ、蚊の餌食にならないためにもカヤックの上で夜が明けるのを待つ。それか、向かい風の中を知らない島まで一晩中パドルし続ける。

3回目のものすごい雷鳴の直後、ルークが振り向いて言った「ぐずぐずしてられるか!決めた!」正直言ってその雷にはびびった。パドルしてきたところを引き返していると、5分後には嵐が南の方へ去っていくのが見えた。僕達は気を取りなおし、また方向を変えて知らない島までパドルすることに決めた。しかし位置を確認しようにも暗闇の中ではGPSのライトスイッチも見つからない。仕方なく湾に泊まっていた大きい貨物船までパドルすることにした。貨物船の親切な乗組員達が4kmほど離れた島を教えてくれた。が、問題は彼らは漁師ではないから地図も読めず、おまけに方向音痴だったことだ。

  1時間もさまよいながらパドルし続け、ようやく岸らしいところが見つかった。ルークを呼び止め、珊瑚礁と接している近くの小島へ向うことに決めた。そこがマングローブしかなければ、砂浜がある島に辿り着くまでパドルし続けるつもりだった。
  しばらくの間マングローブに沿ってパドルしていると、ボートからか民家からか、遠くに明かりが見えた。そこへ向って進んでいると、明かりが突然消えた。辺りは真っ暗、ナビゲーション代わりの物がなくなってしまった。どうもあの明かりはボートからではなさそうだ。闇の中をまたパドルしていると、ルークが草の生えている場所を発見した。ようやく、キャンプが出来そうな所を見つけた。
  パドル初日の疲れでクタクタになりながらカヤックを引き上げていると、大きい犬が吠えているのが聞こえてきた。私有の島に漂着してしまったと思い、どう猛そうな番犬を追い払おうと、とっさにパドルをつかんだ。その時、懐中電灯の強い光が見えた。
  学生2人組みだった。彼らは長老派教会組織のメンバーで、マングローブが群生しているところから900mくらい離れた保養地でベリーズでの最後の1日を過ごしていた。彼らは管理人の犬(どう猛ではなく、かわいい犬)と一緒だった。僕達は快く迎えられ、その後、長い1日の疲れですぐに眠りについた。

 後で分かったのだが、僕達は 5時間も暗闇をパドルし続けたのに、ここはベリーズシティからたった16kmくらいしか離れていなかった。(方向転換したり、キャンプサイト探しのための距離を入れれば、おそらく25〜27kmはパドルしたことになるだろう。)

英語テキスト: Gear Transport and First Paddling in Belize, A Tough Day
訳:西山 晴美 


Scary Shark Encounter

1999年3月23日   サメと遭遇!

夕方五時頃、沈み始めていた夕日が落ちるまで1時間もかからなかった。その時僕は夕食の獲物を獲るため、海に入っていた。このあたりの珊瑚はお世辞にも美しいとは言えなかったが、珊瑚礁の間に挟まれた深瀬を泳ぎ続けた。獲物の魚はたいてい深瀬に集まっているからだ。僕は泳ぎながら、サメが現れるような気がしていた。カリブ海でサメを見ない日は無いのだが、食生活のメインが魚である僕達は毎日海に入らなければならない。もちろん、サメを避けるようにしてスピアフィッシングをしているつもりなんだが。(僕達はスピアガン“水中銃”で魚を取っている。スピアガンの中に魚を突くためのスピア“やす”をセットし、獲物に撃ち込む。)

海に入って数分後、おいしそうな青いブダイを発見。僕の5m下だ。この魚はすばしっこくて、気づかれたら最後、スピアをかわして泳ぎ去ってしまう。気づかれないよう真下へ潜り、ブダイの視界に入らない後ろに回った。スピア1発目。頭の近くに命中。ブダイの血が緑の筋になってそこら中に散っていった。海の中では赤い血が緑色に見える。用意していたロープの先に魚をぶら下げ、僕は泳ぎ始めた。早く海から出て、この出血の止まらないブダイをルークに渡したかった。近くにサメがいるような気がしてしょうがなかったからだ。岸へ戻る途中、まだら模様のかなり大きいエイが僕の近くを2mと離れず泳いでいた。そのエイは、僕が両腕をいっぱいに広げた幅よりも大きく、尾の長さは3m以上もあった。海の中を優雅に滑らかに泳ぐ姿は美しかった。今度はイカが近くを泳いでいた。黒雲のようなイカの墨を避け、すぐさま手にづかみにしてブダイ同様ロープにぶら下げた。浅瀬まで来たところで、今度は大きいロブスターを見つけた。思わずつかんだがすぐに離してしまった。もうロブスターのシーズンは過ぎていて、罰金1000ドルは痛すぎる。岸に着くとルークを呼んで獲物の魚とイカを渡し、僕はまた海の中へ戻っていった。

日もすっかり落ち、海中の視界が5m以上きかなくなっていた。水深約4mのところで、2匹目の獲物を見つけた。また青いブダイだ。一匹目同様、真下に潜っていきスピアを撃った。が、その瞬間ブダイに気づかれてしまった。スピアは当たったものの魚から外れてしまい、ブダイは血をまき散らしながらそこら中を泳ぎまくった。海面に戻り、すぐにスピアをリセットした。そして今のブダイを捕まえるため急いで海中に戻り、2発目。――命中だ!
ブダイをスピアに刺したまま海面に戻ろうとした時、何かグレーの大きな物体がたくさん僕の周りをうようよと泳ぎ回っているのに気がついた。まさか、サメ・・・一瞬ギョッとした。

海面にたどり着いた時、なんとその物体はもっと近づいてきた。ターポン(大西洋暖海水域にいる大魚)だ。少なく見ても20〜30匹、それも25kg〜35kgはあるのが僕の周りを取り囲んでいる。何匹かは僕のすぐ側1mくらいまで寄ってきた。スピアガンが使えればいいのに、こんな時に限ってスピアは魚に刺さったままでリセットが出来なかった。
急いでスピアを抜いてブダイをロープにつけた時には、魚はかなり出血していた。そしていつのまにかターポンはいなくなっていた。
  スピアガンをリセットし岸に向かって泳いでいたところに、またグレーの大きい物体が向かってきた。大きいターポンかと思いスピアガンで狙いを定めた。!!!が、その瞬間驚きのあまり思わずせき込み、海水を飲み込みながら必死にフィンを動かした。でかいサメが僕の2m前で止まったのだ。
サメが僕を怯えさせたように、僕の速いフィンの動きがサメを驚かせたように見えた、その時は。しかし僕が逃げ切る前に、サメは頭を左右に振りながらフルスピードでこちらへ向かってきた。この時僕は、自分よりも大きいサメの姿をはっきり見てしまった。

視界が利かない海中で、サメの姿は一瞬にして消えた。しかし、数分後にまた戻ってきた。恐怖で身がすくみ、泳げない。ロープに下げているブダイのせいだ思ったが、腰にあるロープをはずすために下さえも向けなかった。サメの攻撃を払いのけるためのスピアガンをしっかり抱えるだけで精一杯、サメを見失う度に、焦りながら海中でぐるぐる体を回転させ辺りを見回した。

  僕は気を取りなおしつつ、浅瀬に向かって泳ぎ始めた。サメは何度か戻ってきては、フィンから数cmほど後ろにあった魚に触りそうなくらい近づいてきた。スピアガンを手にしていても、生きた心地などまったくしない。絶望的になるのと同時に、逃げ出せるチャンスはだんだんなくなっていくような気がしてきた。
水深2mのところまで来た時には、初めの遭遇からたったの2分くらいしか経っていなかったはずだ。息は完全に切れて苦しかったが、休むひまはない。スピアガンで深い場所辺りに狙いを定めながら、後ろ向きのまま岸に向かって必死に泳ぎ続けていた。全力でフィンを動かしたため両ふくらはぎがこむら返りを起こしていたが、無我夢中で痛みも感じなかった。
  膝上くらいの水のところまで来ると、海中にいた時のようなパニック状態はおさまってきた。フィンを取って海から出た時には吐き気がするほどぐったり疲れていた。ショックと興奮状態のままキャンプ地まで戻ったが、気持ちが落ち着くまで周辺をうろうろと歩きまわる以外、何も手につかなかった。

長い間、映画『ジョーズ』で出来上がってしまった“サメ=殺人マシーン”というイメージを取り払いたいと思っていた。僕はサメが好きだし、今も興味がある。様々な種類のサメを何度も海中で見てきたが、今まで一度も恐ろしい目に遭ったことはなかった。
今回起こったことを思い返していえるのは、僕にも責任があったということだ。

・まず、サメが餌を捜す時間帯にスピアフィッシングに行った。

・良くないと言われているのに、1人で海に入っていた。(しかし僕達の場合、食料は海から調達しなければならないし、いつもルークと一緒に潜るわけにはいかない。それに、1人の方が魚に逃げられない。)

・深瀬がサメやエイの一番集まりやすい場所(エイを見ていたことがその裏付けになるだろう)だと知っていたが、そこで魚を取っていた。

・海から出てルークに初めの魚を渡す前に、その魚が15分くらい海中で出血していた。それがすでに、サメをあのエリアにおびき寄せたのだろう。2匹目の魚を取るのに2回もスピアガンを使い、やっと魚をロープにつけた時には1匹目同様かなり出血していた。この状況でサメが興奮しないはずはない。

多分、サメは僕より魚の方を狙っていたと思うのだが、あの時は「僕を狙っている。」としか考えられなかった。サメに追われる恐怖感からと、事実、足に絡まったロープの先に魚がぶら下がっていて、本当は魚の血なのにまるで僕のフィンから出血しているように見えたからだ。しかし本当のところは分からない。
あの時視界は悪かったが、サメの頭と体の大きさ、色、目立った特徴が無かったことなどを考えると、あれはブルシャークの小さいのかレモンシャーク大きいのだったと確信している。どちらも攻撃的な種として知られ、特に出血している魚の周りでは一層激しさを増す。

「それで、今日は誰がスピアフィッシングに行くんだ?」次の日、冗談でルークに聞いてみた。が、このことがあっても僕は海に戻るつもりだ。あのサメは僕を狙うために海にいるわけではないし、よりによってサメが餌を取る時間帯に魚の血をあんなにまき散らし、攻撃的にしてしまったのは僕のせいなのだから。       ジョンフィリップ プロフィール

英語オリジナル・テキスト: Scary Shark Encounter

SHARKSサメのページ (ウェイド・スミス)

 


4月中旬   プラセンシア、ブルークリークとグロバーズリーフ

  この遠征ルートの中で少し異色なのがベリーズだろう。魅力ある場所のほとんどが、水路を使ってしかいくことの出来ない奥地にある。そこで、プラセンシアを南ベリーズの基点にし、僕達は内陸部へ入っていくことにした。プラセンシアはのんびりとしたクレオール(中南米で生まれ育ったヨーロッパ人特にスペイン・フランス人)の町で、人々は親切で、嬉しいことにビーチにはほとんど蚊やブヨがいなかった。
  泊まっていたデイブとデボラの
Last Resortは、手頃な料金で真新しい部屋を僕達に提供してくれた。二人が本当に親切で信頼できる人達だったから、僕達は安心してすべての装備を預けていった。デイブは博物学者だが、この辺り一の評判ガイドで、そしてプラセンシアの情報源でもある。彼はマングローブの中をパドルするツアー等のガイドもしている。彼の寄稿で英語版カスクにマングローブとマナティーについてのページが出来た。ぜひ、チェックしてみて欲しい。

  4月の第2週目、僕達はブルークリークを訪れた。ブルークリーク洞窟(Blue Creek Cave)自然保護区の入り口に広がる熱帯雨林に、先住民マヤの小さなコミュニティーがあった。美しい川が流れ、緑が生い茂るひっそりとしたその場所では、広大なジャングルや洞窟への日帰り探険ができる。洞窟はネットワークのように地下を広がり、その中には32kmも続く洞窟の終点に滝があるものもあった。
  僕達はボランティアの博物学者マウラと一緒に地下を流れる川を泳いで上り、その滝にたどり着いた。こんな体験はなかなか出来ないだろうから、後日ビデオカメラを持って再度ここへ戻ってくることにした。(将来行う予定のビデオ上映会を、楽しみにしていてほしい。)

  それから僕達はイグアナを探すため、ペペというマヤのガイドと一緒に半日のハイキングに出た。川を下流に沿って進んで行くとブルークリークの村とぺぺの家があった。
  ぺぺの息子が木に登ってわさわさと枝を揺らすと、イグアナが枝から川の中へ落ちていった。すかさず犬が落ちた場所辺りに走り寄り、ぺぺがゴーグルを付けて川の中へ潜っていった。まもなくしてぺぺが2mの巨大なイグアナを捕まえて川から出てきた。ルークも僕もそのイグアナを持たされた。意外なことに、イグアナは一旦捕えられると非常におとなしかった。数分後、僕達はイグアナをはなしてやった。

  ブルークリークで、僕達はモパンマヤ族のイグナシオと知り合いになった。彼は Blue Creek Rainforest Lodgeのマネージャーで、マウラと共にブルークリークの宣伝やガイドの育成に努力していた。この村の観光業が今よりも少し発展すれば、彼らは自然保護区内での生活を維持することができるという。それが成功すれば、過剰な開発の代わりに熱帯林へのエコツアーを行うことの重要性や長期的にもそのツアーの運営が可能だということを外部に示すことも出来る。そして、大規模農園で働くため多くの人々が村を離れ、若い世代が都会へ流れる中で、彼等が失いつつある文化も守れるかもしれない。

  村で会う人々は皆親切で、子供達は特別チャーミングだった。彼等のライフスタイルやブルークリークについてもっと知るためや、イグナシオやマウラ達に協力するために、僕達は数週間後またここに戻ることに決めた。村の文化やライフスタイルを記録に残すため、イグナシオをガイドに7日間びっしりのプログラムを考えた。写真・ビデオにその様子をおさめる他に、彼等の農業技術や調理法(穀物・カカオなど)、手工芸品、狩猟法(罠)、子供達についての記事をホームページに載せる予定でいる。イグナシオやマウラ、他のガイド達の協力でカスクのホームぺージがより一層おもしろくなるはずだ。


  僕達はプンタゴルダでビザを延長したあと、4月12日にプラセンシアに戻った。僕の父が数週間遊びに来ていて、ブルークリークにも一緒に行っていた。が、プラセンシアに戻ったところで信じられないことが起こった。体重約100kgの父が僕の足の指を踏み、なんと中指の骨が折れてしまったのだ!去年の10月に出発してから初めての怪我、事故だ。バハのコルテツ海の嵐や荒波にもまれ、サメの恐怖にさらされた後に待っていたのは自分の父だった。仕方なく足の指3本一緒にテーピングして、その後過ごしていた。
  ルークの母親と妹も遊びに来ていて、チャターボートでベリーズの群島の1つ、グロバーズリーフへ皆を連れていった。皆に島での生活や、カヤックでのアイランドホッピング(島巡り)を体験して欲しかったからだ。美しいビーチ、新鮮なココナッツそして嵐やスナバエ、ブヨにいたる全てが、グロバーズリーフで体験できた。(スナバエやブヨのおかげで、皆の肌は麻疹か水疱瘡にでもかかったようになった。)

  ある日、いつものように僕がスピアガンで魚を獲っていた時のことだ。獲った魚をロープにぶら下げて泳いでいると、突然ものすごい力で海中に引きずり込まれた。海水を飲み込みながら下を見ると、ロープが洞穴の中に引き込まれている。どんなに頑張って引っ張り上げようとしてもそのすごい力にはかなわず、自分が海中に引きずり込まれるだけだった。素早くダイビングナイフを取り出しロープを切って海面に戻ってこられたが、夕食はなくなってしまった。きっと、巨大なハタの仕業に違いなかった。

僕達は5日間をグロバーズリーフで過ごし、またプラセンシアへと戻っていった。

英語テキスト: Mid-April, Placencia, Blue Creek and Glover's reef
訳:西山 晴美


1999年4月29日 ブルークリーク1日目

 ブルークリークの周りに茂る低木地帯を 僕達は初めてハイキングに行った。イグナシオと彼の息子エルマー、セシリオはホエザルがいる森へと案内してくれた後、やしの葉で作るシェルターを教えてくれた。
  「長ズボンをはいていけよ。」イグナシオが出発前に言った。のこぎり草の原野を歩くからということだったが、その場所に行って彼の言ったわけがようやくわかった。危険そうには見えないのだが、その草に腕がちょっとかすれただけで、傷口がまるでかみそりの刃で切ったようになっていた。

  僕達は熱帯雨林へと入り、ホエザル目指して歩き続けた。イグナシオが足を止め、木を見上げた。ホエザルのにおいがしたという。その5分後、木のてっぺんにいるサルを見つけた。
しばらくの間そのサルを目で追っていたが、サルはてっぺんに登ったままで、下りて来ようとはしなかった。あきらめて他のホエザルを見つけるために奥へとまた歩き出した。
  その途中、偶然にも美しいコーラルスネークを見つけた、というか危うく踏みそうになった。
噛まれれば死につながる強力な毒を持っているが、幸いなことにヘビはおとなしく、セシリオがなたの背にそのヘビを引っかけ僕たちに見せてくれた。その後、ヘビを再び森に帰してやった。
  サルが吠え出した。遠くにいるのにもかかわらず、その吠え声はかなり大きい。たった70cmくらいの大きさのサルが、まるでライオンのように吠えるのだから圧倒されてしまった。

  それから僕達は、よどんだ小さな沼に行き、そこでコフネやしを使ったシェルターの作り方を教えてもらったり、食べられる植物を探しては胃を満たしていた。
  村に戻る前、開拓のために焼かれたばかりの土地をぶらぶら歩いていた。ベリーズの先住民族の間では焼畑農業が広く行われている。灰の中からセシリオがコフンヤシの葉を集めていた。彼等は燃えないコフンヤシの葉を保存し、黄色み帯びてくるとその葉から様々な手工芸品を作っている。その中でうちわの作り方を教えてもらった。火をおこしたり、暑さをしのぐためにも使える。
  帰り道、水が入っている3種類のつるを見つけ、のどの渇きを癒した。

  楽しいジャングルウォークから、ブルークリークロッジに戻ってきた。すぐ横を流れる美しいブルークリーク川と、近くで揺れているぶらんこの眺めが心を和ませた。
  夜、ケッチインディアンとモパンマヤ族の文化やブルークリークの歴史、そして明日からのスケジュール等についてイグナシオと話し合った。
  長い1日が終わった。しかし、たった1日で僕達は信じられないくらい多くのジャングル・サバイバル術を学ぶことが出来た。

英語テキスト:4/29 - First Day in Blue Creek
訳:西山 晴美


My Fear of Crocodiles

1999年5月26日 ワニ恐怖症

サウナのような熱気の中、ジャングルを黙々と歩く。流れる汗が目にしみ、わずかな隙間から出ている肌を蚊が執拗に襲ってくる。間もなく、大きな川が現われ行く手を阻んだ。歩いて渡る以外方法はない。仕方なくバックパックを頭にのせ、川へ入って行く。水が胸の高さまで来た時だろうか、突然大きい水飛沫が聞こえた。心臓の鼓動が速まり、絶望感と同時にワニの姿が頭をよぎる。・・・こんな状況に誰が遭遇したいものか。
中央アメリカを遠征している僕達は、クロコダイルやアリゲーターのいる場所でキャンプしたり、パドルしなければならないことがある。地元の人々からの警告は日常茶飯事、いやおうなしにワニの恐怖にさらされる。グアテマラでの遠征は、そんな感じで始まった。

朝4時45分。5時の出発にはかなり遅い時間に起床。僕達はリビングストーンを出発し、ブリティッシュ運河をパドルすることにしていた。いざ出発という時だ。運河に大きいワニがいるから気を付けろと、グアテマラの海軍にいる男が知らせてくれた。運河のワニは攻撃的にもなるしカヌーを襲うことはよく知られている、と彼は付け加え、再度僕達に注意するように言った。
大雨でも降りそうな暗い雲が頭上を覆う中、僕達はドゥルセ川をパドルし始めた。ワニのことで僕の頭は一杯だ。彼の言葉が嫌になるほど何度も頭の中で繰り返された。普通は、モーターを付けた木製のカヌーがその運河を通る。このルートで正解だったのか、ここを避けるはずだった元の計画にすれば良かったか・・・と、僕は自問し始めた。しかし、遅かれ早かれワニの恐怖とは向き合わなければならない。4時間のパドルで僕達は23km程進み、湾を横切りグラシオーザへと向かっていた。ベリーズからパドルしてきた時にはあれほど苦しまされた潮の流れに、今日はどうやら助けられているようだ。

グラシオーザに到着。わらぶきの家が何軒か見える。それらの家から水辺に、きれいなわらぶきの桟橋が架かっていた。僕達は夜のために蚊帳を準備し、昼間は日陰でゆっくりと休んだ。グラシオーザの人々は親切で、差し入れにマンゴーを持って来てくれた。僕達はトルティーヤを買うついでに、人々に運河への行き方やワニについて聞いてみた。が、答えは前に聞いたのと同じだった。大きいワニが住んでいて、特に河口付近が多いと言う。しかしワニはそんなに攻撃的じゃないと、彼らは言った。
そりゃそうだ、エンジン全開のフルスピードのボートにどうやって攻撃的になれるんだ。僕達のは水面に浮かぶ不安定な布製カヤックなんだぞと、僕は内心思っていた。もしワニが僕達を見て”格好の獲物”だなんて早とちりすれば最後、必死にパドルしたって奴等から逃げられるわけはない。
その夜、ゆううつな気分のまま僕は眠りに就いた。

動物の中で、僕が一番恐いと思ているのはワニだ。サメとはフリーダイビングでよく一緒になるし、タランチュラだって可愛い。ヘビも平気だし、サソリだってからかえる。しかし、ワニだけはどうもだめだ。
今夜に限って、幼い時にあまりの恐ろしさで必ず目が覚めた悪夢のことを思い出してしまった。大きいワニに食べられる夢だ。大の大人になってそんな悪夢のことは信じないが、現実に水中でワニと対面した時のことを想像するだけで、正直言って恐しい。まっしぐらに襲ってくるワニをどうかわしていいものか見当がつかない。

昔見たドキュメンタリー番組を今でも覚えている。場所はアフリカ、川の中から飛び出した”大きい物体が一瞬にしてバッファロー級のパワフルな動物を殺してしまうのだ。それらは、陸ではカール・ルイスよりも速く走り、僕達が数秒間で木に登る高さよりもさらに上をジャンプする。そして水中では僕達のパドルの速さなんかよりも速く泳ぐことが出来る。

どう考えても、ワニに悩まされる日々が続きそうだ。

英語テキスト:5/26/99 - My Fear of Crocodiles
訳:西山 晴美 


Facing Fear

1999年5月27日 ワニに立ち向かえ!

27日朝、僕達は遅く出発した。グラシオーザの住民が、ほんの60〜90分くらいで運河にたどり着き、その後運河では日陰に入るだろうと教えてくれた。直射日光では暑くてパドルが出来ない。

ワニが餌を取るのは大抵、夜か夕方、または明け方だ。僕達はワニの襲撃に備えて作戦を話し合い、万が一襲われた場合はお互いを助け合うことで一致した。僕達はカヤックのデッキに、矢尻を外したスピアガンを置いた。ワニを脅かすためだからスピアの先は外してあるが、いざと言う時には目を狙う。最後の手段のなたも一緒に置いておいた。そして照明弾も取り出した。
まずは照明弾で脅かそうと考えていた。が、その照明弾は出発してから何度となく濡れ、使えない可能性の方が高い。次の手は、パドルでワニを押しのけ、スピアガンを使う。最後の手段は、なたとダイビングナイフ。自分達の命がかかっているんだ。襲われれば、必死になって闘うにきまってる。
ワニが川べりで昼寝でもしていれば問題はないと思うのだが、もしそれらが川の中に入ってきたら、とにかく猛スピードでパドルしなければならない。もしどちらか一人が遅れてしまっても、片方は待ち、二人でワニに立ち向かうことになる。

朝7時半に出発したのに太陽はすでに高く昇り、もうかなり暑い。その暑さの中、小さな湾を1時間半ほどパドルすると、浅い海から続いた広い河口が見えてきた。運河の入り口を発見したものの、まるで流木が運河を塞いでいるようなもので、それらを避けてパドルしなければならなかった。多くの場所で見かけるそういう流木は、チェーンソーで切られている。
河はヘビのようにグルグルと渦を巻き、そしてだんだんと狭くなってくる。僕達はすでに照明弾とスピアガンの用意をしていた。僕は周りを見回し、ワニの不意な襲撃を警戒しながら先頭でパドルし、後にルークが続いていた。そのルークが僕の後ろにぴったりとついて来るものだから、僕がちょっとパドルをやめる度に、ルークのカヤックがぶつかってきた。僕があまりにもびくついていたから、ルークにまでそれがうつってしまったようだ。
川幅がぐっと狭くなったところで突然、僕の前でバシャバシャと水しぶきが起こった。僕達は一瞬、息を止めた。小さいワニが小魚を追っているのでは・・・。目の前で水面が激しく動いていたかと思ったら、また気味が悪いくらい静かな川に戻ってしまった。僕達は急いでその水面をパドルして通った。と、今度はルークの横でバシャ、次は僕の前でバシャ、それから横でバシャ・・・。周りを見回したが、何も見えない。しかしすぐ魚の群れを確認して、ほっとした。今のところは。

パドルするにつれて魚の数は減り、普通にパドルができないくらい狭い運河には厚いカーペットのような水草が水面を覆いつくしていた。僕達はパドルで水草を押さえつけるようにして進まなければならなかった。押えられた水草は、静かに水中へ沈んでいった。水草の下を蛇行しながら流れる河は、幅が数メートルにもなったり、カヤックがやっと通れるくらいの狭さになったりを繰り返した。見たこともない果物の木が河の上まで茂り、食べられそうにもない大きくて茶色の固い実をつけていた。その実はいたる所にぶらさがり、水面にも姿を映していた。野生の蘭が河岸で咲いている。音も立てず滑らかに進むカヤックから白鷺が良く見える。とても美しい河だ。
街の喧燥から離れ、自然に浸っていたところに突然、モーターボートの音が聞こえてきた。僕達は狭くなっていく水草だらけの運河の手前で止まり、カヤックを岸に寄せた。ボートがそこを通り過ぎた。通り道がついたように水草が割れ左右にゆらゆらと分かれていったが、しばらくするとまたゆらゆらと真ん中に戻ってきた。その日、3隻のボートが通り過ぎていくのを見た。ボートの通過が無ければ、この厚く密集している水草に阻まれて前へ進めなかっただおう。別の意味でもモーターボートの存在はありがたかった。ボートが通った後、しばらくの間はワニが出てくる可能性は無かったからだ。

日陰に入ると聞いていたが、ずっと続くという訳ではなかった。午前10時くらいからすごい暑さと日差しに苦しんだ。11時半頃、初めて見つけた固い土地で僕達は休憩をとったが、すぐ蚊とサンドフライ(ぶよよりも小さく、そして痛い!)の攻撃にあった。その時ちょうど3隻目のボートが通りがかった。僕達はそのボートを止めて、乗っていた男に海までどのくらいかかるのか聞いた。彼がもうすぐだと言うのを聞いて少しほっとした。ボートの彼は一度去った後、左側の河へ行けとわざわざ教えに戻ってきてくれた。右の河は山へつながるということだった。
パドルしていくと、たしかに河が二股に分かれている。彼が教えてくれて本当に助かった。流れもなく、一見したところ右側の河が主流のように見えるからだ。さらにパドルし進んで行くと、波の音が聞こえてきた。照明弾をドライバックにしまい込み、スピアガンも落ちないようにデッキの上にしっかり固定した。河口付近は波が高く、また大きい
ワニがいると言われていたからだ。ワニがうようよいる河口の真ん中でカヤックがひっくり返らないようにと、僕達は必死に祈りながらスプレーカバーをつけた。*スプレーカバー(スプレースカート):カヤック内に水しぶきが入らないようにするためのもの*

また、河が二股に分かれていた。波の音を頼りに僕達は左に進んでいくと、海が目の前に広がった。前方には砂州があり、僕達を波から守ってくれる役目を果たしていた。ワニの姿は見えない。僕達は波の高さを確認するため、カヤックを砂州に乗り上げることにした。砂州に近づいていくと、何軒か、わらぶきの家が見えてきた。そこは小さい村になっていたのだ。この暑さの中で運河をパドルすること5時間、ようやく僕達は海にでた。波はそれほど高そうには見えない。バハ遠征以来、久しぶりに波に乗り、泳いだ。村の人達は親切で、快くビーチにテントを張らせてくれた。彼らの話では、日中はモーターボートが通るため、ワニは夜しか出てこないと、いうことだった。子供でも河に入って水浴びをしているという。ホンジュラスとグアテマラの国境を流れるモンタグア川にもワニがいるらしいが、やはりモーターボートが通るため危険ではないらしい。その代わり、ボートが殆ど通らない小さな川にいるワニは、攻撃的で危険だということだった。

村人達が僕達の行き先を聞いた。僕達が答えると、彼らはカヤックをじっと見て、「こんなんじゃ、海を渡れないぞ。朝の波はもっと高いんだ。」と言った。僕達は、「大丈夫。ワニや武装した盗賊なんかより、波の方がまだマシだ。」とひそかに思っていた。

最初の悪夢は過ぎ去っても、まだそれは終わりそうにもない。

英語テキスト:5/27/99 - Facing Fear

J-Philippe  Soule ジョンフィリップ・スレプロフィール

更新日1999年11月1日

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