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Jean-Philippe's journal 1999年 3月18日 ハードな1日、ギア輸送とベリーズでのカヤック初日
朝4時にアラームが鳴った。ルークと僕は起き出して、一番重い3つのバッグを泊まっていたバンガローから道路に運び出した。バスが間違いなく僕達を拾うよう念を押すためルークがバスターミナルまで行き、僕は全部で200kg以上はある残りの荷物を道路に運び続けた。
ベリーズシティーに到着。川の前にある庁舎近くでカヤックを組み立てようと考えていたら、バスの運転手がそこまで直接乗せて行ってくれた。僕達は山と積まれた荷物を桟橋に置き、カヤックを組み立て始めた。バハ遠征で舳先(へさき)部分のフレームを壊したので、新しいものを手に入れておいたのだが、なんとそれが合わない。ルークはそのフレームを2.5cm切り落とさなければならなかった。幸運にもボートを待っていた乗客の1人が金属用のこぎりをいくつか買っていて、僕達に1つ売ってくれた。
第1の目的地、ランデブー島には2日間で到着する予定だった。1週間休みなくコンピュ−ターに向かい続けた後だったから、今日はまずウォーター島までの約18kmをパドルするのがいいと思っていた。
しかし、すでに午後5時ともなれば他を考えた方がよさそうだ。
何日もかけ周到に旅の計画や準備をしていると、時々基本的なことが頭から抜け落ちることがある。今日の僕達がそうだった。ルークも僕も相手が小型懐中電灯を持っているだろうと思っていた。が、どちらも無し。電池も小さい袋の中に仕まい込んでいて、カヤックに乗っていてはまず取り出せない。 3回目のものすごい雷鳴の直後、ルークが振り向いて言った「ぐずぐずしてられるか!決めた!」正直言ってその雷にはびびった。パドルしてきたところを引き返していると、5分後には嵐が南の方へ去っていくのが見えた。僕達は気を取りなおし、また方向を変えて知らない島までパドルすることに決めた。しかし位置を確認しようにも暗闇の中ではGPSのライトスイッチも見つからない。仕方なく湾に泊まっていた大きい貨物船までパドルすることにした。貨物船の親切な乗組員達が4kmほど離れた島を教えてくれた。が、問題は彼らは漁師ではないから地図も読めず、おまけに方向音痴だったことだ。
1時間もさまよいながらパドルし続け、ようやく岸らしいところが見つかった。ルークを呼び止め、珊瑚礁と接している近くの小島へ向うことに決めた。そこがマングローブしかなければ、砂浜がある島に辿り着くまでパドルし続けるつもりだった。 後で分かったのだが、僕達は 5時間も暗闇をパドルし続けたのに、ここはベリーズシティからたった16kmくらいしか離れていなかった。(方向転換したり、キャンプサイト探しのための距離を入れれば、おそらく25〜27kmはパドルしたことになるだろう。) 英語テキスト: Gear Transport and First Paddling
in Belize, A Tough Day
夕方五時頃、沈み始めていた夕日が落ちるまで1時間もかからなかった。その時僕は夕食の獲物を獲るため、海に入っていた。このあたりの珊瑚はお世辞にも美しいとは言えなかったが、珊瑚礁の間に挟まれた深瀬を泳ぎ続けた。獲物の魚はたいてい深瀬に集まっているからだ。僕は泳ぎながら、サメが現れるような気がしていた。カリブ海でサメを見ない日は無いのだが、食生活のメインが魚である僕達は毎日海に入らなければならない。もちろん、サメを避けるようにしてスピアフィッシングをしているつもりなんだが。(僕達はスピアガン“水中銃”で魚を取っている。スピアガンの中に魚を突くためのスピア“やす”をセットし、獲物に撃ち込む。) 海に入って数分後、おいしそうな青いブダイを発見。僕の5m下だ。この魚はすばしっこくて、気づかれたら最後、スピアをかわして泳ぎ去ってしまう。気づかれないよう真下へ潜り、ブダイの視界に入らない後ろに回った。スピア1発目。頭の近くに命中。ブダイの血が緑の筋になってそこら中に散っていった。海の中では赤い血が緑色に見える。用意していたロープの先に魚をぶら下げ、僕は泳ぎ始めた。早く海から出て、この出血の止まらないブダイをルークに渡したかった。近くにサメがいるような気がしてしょうがなかったからだ。岸へ戻る途中、まだら模様のかなり大きいエイが僕の近くを2mと離れず泳いでいた。そのエイは、僕が両腕をいっぱいに広げた幅よりも大きく、尾の長さは3m以上もあった。海の中を優雅に滑らかに泳ぐ姿は美しかった。今度はイカが近くを泳いでいた。黒雲のようなイカの墨を避け、すぐさま手にづかみにしてブダイ同様ロープにぶら下げた。浅瀬まで来たところで、今度は大きいロブスターを見つけた。思わずつかんだがすぐに離してしまった。もうロブスターのシーズンは過ぎていて、罰金1000ドルは痛すぎる。岸に着くとルークを呼んで獲物の魚とイカを渡し、僕はまた海の中へ戻っていった。
日もすっかり落ち、海中の視界が5m以上きかなくなっていた。水深約4mのところで、2匹目の獲物を見つけた。また青いブダイだ。一匹目同様、真下に潜っていきスピアを撃った。が、その瞬間ブダイに気づかれてしまった。スピアは当たったものの魚から外れてしまい、ブダイは血をまき散らしながらそこら中を泳ぎまくった。海面に戻り、すぐにスピアをリセットした。そして今のブダイを捕まえるため急いで海中に戻り、2発目。――命中だ! 海面にたどり着いた時、なんとその物体はもっと近づいてきた。ターポン(大西洋暖海水域にいる大魚)だ。少なく見ても20〜30匹、それも25kg〜35kgはあるのが僕の周りを取り囲んでいる。何匹かは僕のすぐ側1mくらいまで寄ってきた。スピアガンが使えればいいのに、こんな時に限ってスピアは魚に刺さったままでリセットが出来なかった。 視界が利かない海中で、サメの姿は一瞬にして消えた。しかし、数分後にまた戻ってきた。恐怖で身がすくみ、泳げない。ロープに下げているブダイのせいだ思ったが、腰にあるロープをはずすために下さえも向けなかった。サメの攻撃を払いのけるためのスピアガンをしっかり抱えるだけで精一杯、サメを見失う度に、焦りながら海中でぐるぐる体を回転させ辺りを見回した。
僕は気を取りなおしつつ、浅瀬に向かって泳ぎ始めた。サメは何度か戻ってきては、フィンから数cmほど後ろにあった魚に触りそうなくらい近づいてきた。スピアガンを手にしていても、生きた心地などまったくしない。絶望的になるのと同時に、逃げ出せるチャンスはだんだんなくなっていくような気がしてきた。 長い間、映画『ジョーズ』で出来上がってしまった“サメ=殺人マシーン”というイメージを取り払いたいと思っていた。僕はサメが好きだし、今も興味がある。様々な種類のサメを何度も海中で見てきたが、今まで一度も恐ろしい目に遭ったことはなかった。 ・まず、サメが餌を捜す時間帯にスピアフィッシングに行った。 ・良くないと言われているのに、1人で海に入っていた。(しかし僕達の場合、食料は海から調達しなければならないし、いつもルークと一緒に潜るわけにはいかない。それに、1人の方が魚に逃げられない。) ・深瀬がサメやエイの一番集まりやすい場所(エイを見ていたことがその裏付けになるだろう)だと知っていたが、そこで魚を取っていた。 ・海から出てルークに初めの魚を渡す前に、その魚が15分くらい海中で出血していた。それがすでに、サメをあのエリアにおびき寄せたのだろう。2匹目の魚を取るのに2回もスピアガンを使い、やっと魚をロープにつけた時には1匹目同様かなり出血していた。この状況でサメが興奮しないはずはない。 多分、サメは僕より魚の方を狙っていたと思うのだが、あの時は「僕を狙っている。」としか考えられなかった。サメに追われる恐怖感からと、事実、足に絡まったロープの先に魚がぶら下がっていて、本当は魚の血なのにまるで僕のフィンから出血しているように見えたからだ。しかし本当のところは分からない。 「それで、今日は誰がスピアフィッシングに行くんだ?」次の日、冗談でルークに聞いてみた。が、このことがあっても僕は海に戻るつもりだ。あのサメは僕を狙うために海にいるわけではないし、よりによってサメが餌を取る時間帯に魚の血をあんなにまき散らし、攻撃的にしてしまったのは僕のせいなのだから。 ジョンフィリップ プロフィール 英語オリジナル・テキスト: Scary Shark Encounter SHARKSサメのページ (ウェイド・スミス)
この遠征ルートの中で少し異色なのがベリーズだろう。魅力ある場所のほとんどが、水路を使ってしかいくことの出来ない奥地にある。そこで、プラセンシアを南ベリーズの基点にし、僕達は内陸部へ入っていくことにした。プラセンシアはのんびりとしたクレオール(中南米で生まれ育ったヨーロッパ人特にスペイン・フランス人)の町で、人々は親切で、嬉しいことにビーチにはほとんど蚊やブヨがいなかった。
4月の第2週目、僕達はブルークリークを訪れた。ブルークリーク洞窟(Blue Creek Cave)自然保護区の入り口に広がる熱帯雨林に、先住民マヤの小さなコミュニティーがあった。美しい川が流れ、緑が生い茂るひっそりとしたその場所では、広大なジャングルや洞窟への日帰り探険ができる。洞窟はネットワークのように地下を広がり、その中には32kmも続く洞窟の終点に滝があるものもあった。
それから僕達はイグアナを探すため、ペペというマヤのガイドと一緒に半日のハイキングに出た。川を下流に沿って進んで行くとブルークリークの村とぺぺの家があった。 ブルークリークで、僕達はモパンマヤ族のイグナシオと知り合いになった。彼は Blue Creek Rainforest Lodgeのマネージャーで、マウラと共にブルークリークの宣伝やガイドの育成に努力していた。この村の観光業が今よりも少し発展すれば、彼らは自然保護区内での生活を維持することができるという。それが成功すれば、過剰な開発の代わりに熱帯林へのエコツアーを行うことの重要性や長期的にもそのツアーの運営が可能だということを外部に示すことも出来る。そして、大規模農園で働くため多くの人々が村を離れ、若い世代が都会へ流れる中で、彼等が失いつつある文化も守れるかもしれない。 村で会う人々は皆親切で、子供達は特別チャーミングだった。彼等のライフスタイルやブルークリークについてもっと知るためや、イグナシオやマウラ達に協力するために、僕達は数週間後またここに戻ることに決めた。村の文化やライフスタイルを記録に残すため、イグナシオをガイドに7日間びっしりのプログラムを考えた。写真・ビデオにその様子をおさめる他に、彼等の農業技術や調理法(穀物・カカオなど)、手工芸品、狩猟法(罠)、子供達についての記事をホームページに載せる予定でいる。イグナシオやマウラ、他のガイド達の協力でカスクのホームぺージがより一層おもしろくなるはずだ。
僕達はプンタゴルダでビザを延長したあと、4月12日にプラセンシアに戻った。僕の父が数週間遊びに来ていて、ブルークリークにも一緒に行っていた。が、プラセンシアに戻ったところで信じられないことが起こった。体重約100kgの父が僕の足の指を踏み、なんと中指の骨が折れてしまったのだ!去年の10月に出発してから初めての怪我、事故だ。バハのコルテツ海の嵐や荒波にもまれ、サメの恐怖にさらされた後に待っていたのは自分の父だった。仕方なく足の指3本一緒にテーピングして、その後過ごしていた。 ある日、いつものように僕がスピアガンで魚を獲っていた時のことだ。獲った魚をロープにぶら下げて泳いでいると、突然ものすごい力で海中に引きずり込まれた。海水を飲み込みながら下を見ると、ロープが洞穴の中に引き込まれている。どんなに頑張って引っ張り上げようとしてもそのすごい力にはかなわず、自分が海中に引きずり込まれるだけだった。素早くダイビングナイフを取り出しロープを切って海面に戻ってこられたが、夕食はなくなってしまった。きっと、巨大なハタの仕業に違いなかった。 僕達は5日間をグロバーズリーフで過ごし、またプラセンシアへと戻っていった。 英語テキスト: Mid-April,
Placencia, Blue Creek and Glover's reef ブルークリークの周りに茂る低木地帯を
僕達は初めてハイキングに行った。イグナシオと彼の息子エルマー、セシリオはホエザルがいる森へと案内してくれた後、やしの葉で作るシェルターを教えてくれた。
僕達は熱帯雨林へと入り、ホエザル目指して歩き続けた。イグナシオが足を止め、木を見上げた。ホエザルのにおいがしたという。その5分後、木のてっぺんにいるサルを見つけた。
それから僕達は、よどんだ小さな沼に行き、そこでコフネやしを使ったシェルターの作り方を教えてもらったり、食べられる植物を探しては胃を満たしていた。
楽しいジャングルウォークから、ブルークリークロッジに戻ってきた。すぐ横を流れる美しいブルークリーク川と、近くで揺れているぶらんこの眺めが心を和ませた。 英語テキスト:4/29 - First Day in Blue Creek 1999年5月26日 ワニ恐怖症 サウナのような熱気の中、ジャングルを黙々と歩く。流れる汗が目にしみ、わずかな隙間から出ている肌を蚊が執拗に襲ってくる。間もなく、大きな川が現われ行く手を阻んだ。歩いて渡る以外方法はない。仕方なくバックパックを頭にのせ、川へ入って行く。水が胸の高さまで来た時だろうか、突然大きい水飛沫が聞こえた。心臓の鼓動が速まり、絶望感と同時にワニの姿が頭をよぎる。・・・こんな状況に誰が遭遇したいものか。 朝4時45分。5時の出発にはかなり遅い時間に起床。僕達はリビングストーンを出発し、ブリティッシュ運河をパドルすることにしていた。いざ出発という時だ。運河に大きいワニがいるから気を付けろと、グアテマラの海軍にいる男が知らせてくれた。運河のワニは攻撃的にもなるしカヌーを襲うことはよく知られている、と彼は付け加え、再度僕達に注意するように言った。 グラシオーザに到着。わらぶきの家が何軒か見える。それらの家から水辺に、きれいなわらぶきの桟橋が架かっていた。僕達は夜のために蚊帳を準備し、昼間は日陰でゆっくりと休んだ。グラシオーザの人々は親切で、差し入れにマンゴーを持って来てくれた。僕達はトルティーヤを買うついでに、人々に運河への行き方やワニについて聞いてみた。が、答えは前に聞いたのと同じだった。大きいワニが住んでいて、特に河口付近が多いと言う。しかしワニはそんなに攻撃的じゃないと、彼らは言った。 動物の中で、僕が一番恐いと思ているのはワニだ。サメとはフリーダイビングでよく一緒になるし、タランチュラだって可愛い。ヘビも平気だし、サソリだってからかえる。しかし、ワニだけはどうもだめだ。 昔見たドキュメンタリー番組を今でも覚えている。場所はアフリカ、川の中から飛び出した”大きい物体”が一瞬にしてバッファロー級のパワフルな動物を殺してしまうのだ。それらは、陸ではカール・ルイスよりも速く走り、僕達が数秒間で木に登る高さよりもさらに上をジャンプする。そして水中では僕達のパドルの速さなんかよりも速く泳ぐことが出来る。 どう考えても、ワニに悩まされる日々が続きそうだ。 英語テキスト:5/26/99 - My Fear of Crocodiles 1999年5月27日 ワニに立ち向かえ! 27日朝、僕達は遅く出発した。グラシオーザの住民が、ほんの60〜90分くらいで運河にたどり着き、その後運河では日陰に入るだろうと教えてくれた。直射日光では暑くてパドルが出来ない。 ワニが餌を取るのは大抵、夜か夕方、または明け方だ。僕達はワニの襲撃に備えて作戦を話し合い、万が一襲われた場合はお互いを助け合うことで一致した。僕達はカヤックのデッキに、矢尻を外したスピアガンを置いた。ワニを脅かすためだからスピアの先は外してあるが、いざと言う時には目を狙う。最後の手段のなたも一緒に置いておいた。そして照明弾も取り出した。 朝7時半に出発したのに太陽はすでに高く昇り、もうかなり暑い。その暑さの中、小さな湾を1時間半ほどパドルすると、浅い海から続いた広い河口が見えてきた。運河の入り口を発見したものの、まるで流木が運河を塞いでいるようなもので、それらを避けてパドルしなければならなかった。多くの場所で見かけるそういう流木は、チェーンソーで切られている。 パドルするにつれて魚の数は減り、普通にパドルができないくらい狭い運河には厚いカーペットのような水草が水面を覆いつくしていた。僕達はパドルで水草を押さえつけるようにして進まなければならなかった。押えられた水草は、静かに水中へ沈んでいった。水草の下を蛇行しながら流れる河は、幅が数メートルにもなったり、カヤックがやっと通れるくらいの狭さになったりを繰り返した。見たこともない果物の木が河の上まで茂り、食べられそうにもない大きくて茶色の固い実をつけていた。その実はいたる所にぶらさがり、水面にも姿を映していた。野生の蘭が河岸で咲いている。音も立てず滑らかに進むカヤックから白鷺が良く見える。とても美しい河だ。 日陰に入ると聞いていたが、ずっと続くという訳ではなかった。午前10時くらいからすごい暑さと日差しに苦しんだ。11時半頃、初めて見つけた固い土地で僕達は休憩をとったが、すぐ蚊とサンドフライ(ぶよよりも小さく、そして痛い!)の攻撃にあった。その時ちょうど3隻目のボートが通りがかった。僕達はそのボートを止めて、乗っていた男に海までどのくらいかかるのか聞いた。彼がもうすぐだと言うのを聞いて少しほっとした。ボートの彼は一度去った後、左側の河へ行けとわざわざ教えに戻ってきてくれた。右の河は山へつながるということだった。 また、河が二股に分かれていた。波の音を頼りに僕達は左に進んでいくと、海が目の前に広がった。前方には砂州があり、僕達を波から守ってくれる役目を果たしていた。ワニの姿は見えない。僕達は波の高さを確認するため、カヤックを砂州に乗り上げることにした。砂州に近づいていくと、何軒か、わらぶきの家が見えてきた。そこは小さい村になっていたのだ。この暑さの中で運河をパドルすること5時間、ようやく僕達は海にでた。波はそれほど高そうには見えない。バハ遠征以来、久しぶりに波に乗り、泳いだ。村の人達は親切で、快くビーチにテントを張らせてくれた。彼らの話では、日中はモーターボートが通るため、ワニは夜しか出てこないと、いうことだった。子供でも河に入って水浴びをしているという。ホンジュラスとグアテマラの国境を流れるモンタグア川にもワニがいるらしいが、やはりモーターボートが通るため危険ではないらしい。その代わり、ボートが殆ど通らない小さな川にいるワニは、攻撃的で危険だということだった。 村人達が僕達の行き先を聞いた。僕達が答えると、彼らはカヤックをじっと見て、「こんなんじゃ、海を渡れないぞ。朝の波はもっと高いんだ。」と言った。僕達は、「大丈夫。ワニや武装した盗賊なんかより、波の方がまだマシだ。」とひそかに思っていた。 最初の悪夢は過ぎ去っても、まだそれは終わりそうにもない。 英語テキスト:5/27/99 - Facing Fear J-Philippe Soule ジョンフィリップ・スレプロフィール 更新日1999年11月1日 |
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