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CASKE2000

Holy Boat Hulls and The Shipping News

repairs

ああ、聖なるカヤック船体
バハからメキシコ本土への海上輸送ニュース!

文:ルーク・シュレンバーガー

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  前編

ネズミ!いつの時代でも、こいつは疫病、飢饉、その他諸々の悪い出来事の根源だ。私たちは第1ステージが終わった時点で1度ラ・パスを去り、友人や恋人に会ったり、途方もない量の仕事をこなしたりした。ジョンフィリップは目の前に山積みになっているウェッブサイトの仕事を朝から晩までし続け、私は紙3枚分の“仕事リスト”に書かれてあることを片づけなくてはならなかった。この間私たちは、持ち物のことを気にしたくなかったので、鍵と錠があれば安全だろうと判断し、荷物はラ・パスへ置いていった。

  しかし1ヶ月後、2月中旬にラ・パスへ戻って荷物預かり所へ行った時、かなりのショックを受けた。倉庫に保管されていた私たちの荷物や全種類のコーンフレーク、その他の食物も全てネズミの犠牲になっていたのだ。ゴム製のバッグは全部囓られ、ヒパロンで出来たカヤックの船体はスイスチーズと化していた。反対側に置いてあったコーンフレークとホットケーキミックスだけは無事だったものの、キャンプ用のガスコンロと燃料缶が入った小さいバッグにまで大きなトンネルができていた。ブードゥ教の人々がトランス状態になるとガラスの破片や鉄や釘を食べるという話をふと思い出したが、これははねずみだ。
  この惨状について二人で話し合った結果、始めにネズミたちはガスコンロと燃料缶の入ったかばんに入って缶に穴を開けたために、ガスが蔓延しこんなに暴れ回ったのではないかという結論に達した。この荷物をきれいにまとめる気には到底なれなかったので、私はカヤックとその他の重い物をそのまま適当に詰め直し、税関へ持っていった。(バハは未開州とされていて本土へ行く荷物はまず税関を通らなくてはならない。)そして、メキシコ航空運輸を通してユカタンへ行く船にそれを乗せた。
  165キロの荷物の料金は、結局見積の2倍の値段で落ち着いた。「
La tarifa de seguro, sabes?(保険料だよ。)」と男は言った。この時のこの一言を、私はこれから起こる出来事の前兆として考えるべきだった。がまさか、後であんな事が起こるなんて夢にも思わなかったので、大きな荷物から解放されて喜んでいた。それでも、私達は他にまだ6つのバッグを自分たちで運ばなくてはいけなかったのだ。

  数日後、6つの大きなかばんとパドル4組を持ってラ・パスからマサトランへ向かうフェリーに乗った。私たちはレオナルド・ディカプリオの物まねをしながら“カスク2000第2ステージ開始!”と、船首と船尾のロープをゆるめている甲板員に向かって叫んだ。コルテツ海の16時間はとてもリラックスできた。軽食堂の飯はとても食べられた物ではなく、エコノミークラスの大部屋は一杯で寝る場所もなかったが、甲板で見る星と日の出は信じられないくらいにきれいだった。
  マサトランのフェリー乗り場からバス停への乗り継ぎは思ったよりもスムースにいった。二人でタクシーの運ちゃんを値切り倒して、車にバッグを詰め込んだ。私たちはマサトランに到着して、たった1時間半後にはメキシコシティに向かうバスに乗っていた。
  国内線の飛行機とは反対に、メキシコのバスは利用しやすく、値段も手頃で、とても快適だった。値段は飛行機の三分の一で、私たちはテレビ・ビデオ・冷房付きの長距離バスのチケットを手に入れ、ゆったりくつろぐことが出来た。

  メキシコシティ到着予定時刻は朝の5時30分だった。私たちは予定より早く着いた。睡眠不可能なバスのシートから早く解放され、乗り継ぎの手続きをする時間の余裕ができたのはよかったが、バスの運転手は爆音とともに、メキシコシティへ向かう曲がりくねった山道をすごいスピードでぶっ飛ばしたので寿命が縮まった。バスの中では、真ん前にあるフロントガラスから見える恐怖の景色が目に入らないように、上についていたテレビのメキシカンコメディとB級アクション映画を何時間もひたすら見続けた。
  私たちはメキシコシティの北ターミナルから南ターミナルへ移動するために、タクシーに乗らなければならなかった。タクシ−の運ちゃんもバスと同様クレイジーだったが、幸運なことに朝の4時半で道路はがらがらだった。わたしたちは南ターミナルぐらいの大きさはある中央駅入口の通路に着いたので、そこに荷物を積んで切符売り場が開くまでの時間、ひと眠りした。
  駅をその町の指標にするなら、メキシコシティは物価が高くて不衛生で食事がまずいということになる。清掃員の男は汚いモップで、カフェテリアの床に私の飲んでいたコーヒーと同じ茶色い水をまいて掃除をしていた。私たちは渋々バスに乗ったが比較的きれいだったのでよかった。もうあと23時間でカンクンだ。

  ユカタン半島にあるマイアミビーチは、春休みシーズンの間に私たちが一番行きたかった場所だったが、運送会社が荷物を運んで行くところは南端の方で方向が違った。私たちはホテル街を避けた。3日間着たままの服は悪臭を放ち、汗をたらしながらふらふらしていると、駅から3ブロック先の中心街に安い部屋を見つけた。これからまず、全部で225kgにもなる荷物と私達自身がベリーズへ行く方法を考えなくてはいけない。それから荷物を手に入れる。

  バスは最初に考えたが、荷物が多いためにすぐにボツになった。残った選択肢は車を借りて、ベリーズのちょうど北にあるチェツマルまでの400kmを運転することだった。私たちは13万ある市の中でチェツマルに支店を持っているレンタル会社を探すため8つも店を廻ったが、収穫はゼロ。チェツマルは観光地ではないのだ。となると、カンクン〜チェツマル間を1日で往復するしかない。まず、チェツマルに荷物と一人を残してもう一人は翌日の朝までにカンクンへ戻って車を返し、それから今度はバスに乗ってチェツマルへ向かわなくてならない。私たちは夜間無料サービスをしている会社を見つけた。つまり、1日の値段で1日半借りることが出来る。
  わたしたちは日産の4ドアを予約して、ようやく少しほっとした。

後編・荷物の行方

  私は荷物を船に乗せるときに、町から20キロも離れたところにある空港支店ではなく、カンクン市内の支店に運ぶように念を押しておいた。―が、カンクンに着いたその日の晩に電話してみたら、荷物は4日前に着いていたのにまだ空港支店に置いたままになっていた。
  翌日の昼にもう一度電話をかけると、今度は配達用のトラックがカンクンの方へ出たが、私たちの荷物はのせていないと言われた。私のスペイン語はお世辞にもうまいとは言えないが、通じることは通じるので、契約書通り午後までに私たちの荷物を運んでくるようにと話した。三回目の電話でやっと支店長が出てきた。彼は他の運送会社のトラックで荷物を運び、そして私がそこの会社のオフィスまで取りに行くしか方法がないといった。私は、疑わしい点があるから又電話をすると言って電話を切った。
  30分後にツーリストインフォメーションから通訳を連れてきて、こちらから車を借りて空港支店が閉まる7時前までには自分達で荷物を取りに行く、と電話でつたえてもらった。

6時に車を借り、空港へ向かった。事務所へ入って書類を見せると支店長室へ通された。そこで荷物は今日の午後過ぎに他の運送会社のトラックでカンクンへ持っていったと言われ、ついに私たちは切れた!怒りのあまり自分でもこんなにスペイン語を知っていたのかと思うくらいあらゆる単語が出てきた。そしてこの会社がどんなに無能でひどいサービスしかできないかさんざん罵った。私は車を借りるのに何時間も費やし、一日半レンタルするのに高い金を払ってカンクンからわざわざ来たのに、ここの従業員は荷物の管理さえしていなかったのだ。換算すれば1万2千ドル相当にもなる荷物にだれも責任を持っていないなんて!支店長はすっかりびびって、そのうち泣き出し、荷物を市内まで運ぶのが契約内容だったのでその通りにしたこと、それから先のサービスや、保証は義務づけられていないことをどもりながら説明した。
  結局、支店長には一緒に町まで来てもらい、私たちの積み荷について個人的に責任をとってもらうことになった。カンクンへ戻り荷物を取り返したあと、ジョンフィリップと私は南ユカタンへ向かってその夜出発した。そのうち煮えたぎっていた怒りも嫌みたっぷりの笑いにかわった。私たちはあの連中に結構上手く不満を伝えられたと思う。事務所を出るときには少し落ち着いて彼らと冗談も言った。ラテンアメリカで必要なものは忍耐とユーモアのセンスである。

  私たちはマヤ人の故郷の中心である低地に茂ったジャングルを通って350キロほど走った。遺跡やテーマパークへ向かう標識がどんどん少なくなり、バカラーの小さな町に着いたのは夜中過ぎだった。私たちは海岸にある昔スペイン人が作った砦の廃墟近くでキャンプをした。
  心配だったのは国境検閲と法外な輸入税だった。私たちは夜が明けると同時に起きて、8時半には国境付近に着いていた。いろいろな国の税関員がスポーツ用品や電化製品に80%の関税を要求したという恐ろしい話も聞いていたのでなおさら心配だった。しかし、ベリーズの税関へいくと、バリーホワイトとモートンソウルがステレオから流れ、何人かのストレッチの白い制服を着た職員は、やや少女趣味のネックレスやレイバンを身につけ着飾っていた。私たちはこれを見てすぐにほっとした。所長は私たちのカヤック道具や遠征について山ほど質問したが、1ドルも要求することなく解放してくれた。まともに払えばカヤックだけでも数千ドルはかかっただろう。

  私はジョンフィリップをコロザルのバンガローが集まる一角でおろした。コロザルは国境から数マイル離れたところにあるさびれた田舎町だ。私は数時間後には、再び国境を越えカンクンへ向かっていた。税関でアミーゴになった職員達は、手を振って私を見送り、メキシコ人の同僚達はそれを全く気にしていないようだった。

  その頃、ジョンフィリップは労働搾取工場で働く工員のように、シンナーのにおいの中、ひたすらネズミに囓られたカヤックの船体を糊で埋めていた。私は夕方までには、チェツマルとラグーンを通過していた。息が詰まるような暑い空気に汗をかきながら、果てしなく広がるジャングルの草木の間を縫うように細いアスファルトの道を急いだ。
  カンクンには日が暮れて一時間ぐらいで着いた。気まぐれに私は町のホテル街をぶらぶらした。その通りに沿って輝くネオンは、カンクンの沖合にあるラグーンを縁取る砂の地峡を照らし、春休み旅行客はディスコ、PlanetHollywoodAllstar café、そしてチェーンレストランを埋め尽くしていた。私はこの信じがたい光景をじっと見つめながら、墓で眠るマヤ族の魂の事をふと思った。

  席は翌日のバスの分しか残っていなかった。私はラグーンに向かって突き出た小さな砂州へつながる狭い道に車を止めた。その道に街灯からも遠く、マングローブにおおわれた汚いターンアラウンド(車を方向転換するスペース)があったので、そこでシートを倒して横になった。
  私たちはもうすぐ海へ戻る。再び愛すべき、そして手強い自然の中へ飛び込むのだ。
10階建てのホテルの壁に反響しがんがんと鳴り響くディスコのビートは、リズミックな波のため息に変わり、広大な砂と海の中へと消えていった。

Kayak Repair Photos(カヤック修理の様子)

 訳:長谷川 祐希   訳者プロフィール     更新日:1999年7月4日

英語オリジナル・テキスト :Holy Boat Hulls and The Shipping News

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