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Luke's journal バハカリフォルニアのサンフィリぺから、少し南にある町からの出発だった。 文明の便利さから離れるには、それなりの心の準備が必要になる。このときは2人ともまだ不安やためらいを吹っ切れずにいたから、この風は格好の言い訳になった。実際、新しい友人マイク・スコークとその細君リンダがとてもよくもてなしてくれたので、なかなか動き出す決心がつかなかった。本当に居心地のいい家で、2人はすばらしいホストだった。 消えかけた炭のやわらかいため息のような音と、ひいてはよせる波の音を聞きながら私たちは眠りについた。1年半の準備期間にあった様々なことをしばらく思い返していたが、いつのまにか赤ん坊のようにぐっすりと寝ていた。やっと出発できたことがうれしかった。 英語テキスト:Introduction
(The departure)
三日目: 空腹を満たされた満足感と37kmのパドルからくる疲労感に包まれながら、夕方2時間ほど浜辺に座ってぼんやりする。水平線を見ていると、不意に満月がでてきた。燃えるようなオレンジ色だ。すごい! 四日目: エンカンターダ島(魅了する島の意)に向かう途中、水面から飛び出した巨大な岩の塊の近くを通る。その岩一面がトドでいっぱいだったから、2人でトド島と名付けた。大きな凹型の絶壁が、ちょうどトドたちの円形劇場のようになっていて、うなり声や鳴き声が反響し、5km程離れたところからでもきこえた。約8mまで近づいたときは、あまりの鳴き声の大きさに耳がしばらく聞こえなくなったほどだ。今日の野営地は今までの中で最高だった。サンルイス島から突き出た細長い砂州にでると、その辺りの全景(約300度)が障害物なしで見えた。日が落ち、夕闇が迫ってくる中、朱色に染まる山を見ながらスズキのスープを作った。初の獲物で豪華な夕食! 六日目: 新しくできた友人のヴェントリーニ夫妻のボートから、今日どでかいカワハギを釣った。バハで一番のでかさにちがいない。このヴェントリーニ夫婦、ラリーとマリーはウィラード湾に小さな土地を借りていた。そこからはターコイズカラーの海が見渡せる。この日は生魚をライム・チリ・その他の香辛料に漬けてみんなで食べた。これは典型的なメキシコ料理で、cevicheとよばれている。これだけでも十分うまかったが、パシフィコビールとすばらしい夕日がその味を一層引き立て、思わずうなってしまうほどのうまさ! 地元の不動産屋のドンは、フェルナンデス家の頭領でウィラード湾の北半分を所有していた。107年前からフェルナンデス家は代々この土地を守り続けている。この辺りの景色の美しさを見れば、それも納得。 翌日、ウィラード湾のヴェントリーニ家で握手と抱擁を交わして別れた。驚くほどに親切な2人だった。見ず知らず私たちに小型のトラックを貸してくれたりもした。(これは20年前に破格値で買ったという年代物だった。)その車で買い出しに出かけたが、モトクロスのコースみたいな凸凹道のせいでたった6kmの距離なのに20分もかかった。 英語テキスト: Highlights of week 1
大波と向かい風の中、約30kmのパドル。くたくたになって陸へ上がり、クリフバー(スニッカーズみたいなもの)を持っててよかったと心の底から思った。今日は釣り糸をたらすチャンスがなかったので、しかたなく味気ないキャンプ用のインスタント食品を食べる。海岸にもがっかりした。大きな漁業用ボートの残骸がそのへんに散らばっていて、空き缶が40ノット(1ノット、時速約1.8km)の風に吹かれてはカラカラと音を立てていた。カンポカラマジェには、1kmほどの浜に漁場がある。そこで、ほったて小屋のコレクションと漁師を何人か見た。夕方になると騒々しくなった。船が漁から戻ってくるからだ。子供や日雇い漁師たちが私たちの方に向かって何か叫んでいた。今までで最悪の野営地。 その上、風が吹き出した。一晩中吹き続け、60ノットはある突風でテントとポールがやられた。1時間の睡眠時間。 朝になってようやく風が弱まった。人なつっこそうなじいさんが、前歯しかなかったが100万ドルの笑みを浮かべながらこっちへやってきて、朝食をわけてくれた。パンケーキに、ドライフルーツと砂糖を煮詰めて作ったシロップだった。(今度キャンプするときにやってみてほしい。すごいテクニックだ。) 英語テキスト: Highlights of week 2
先週は、大成功・大冒険・そして大不運を足して3で割ったような一週間だった。 ジョンフィリップが詳しく書いているので私はこれ以上この話題にはふれない。
ぜひ彼の日誌もチェックしてほしい。先週は私たちのカヤックも体調も最悪だったが、気分は最高だった。こんな美しい自然の中を崇高な目的を持って冒険していると思ったら、少々のことを辛抱するのはむしろ喜びだった。 訳:長谷川 祐希
10月23日―25日 文明だって?電話がない!ジンベイザメはどこだ!? 出発してからの3週間の間、バイーア デ
ロスアンゼルスが初の文明のある町になると信じていた。そして、ジンベイザメが年に4ヶ月間、プランクトンの豊富なここの海にやってくると聞いていたので、それも見られるとばかり思っていた。―が、そのどちらの期待も裏切られた。町で唯一の電話線はいかれている。 ”ギレルモの店”が、私たちの事務所がわりになった。狭いが味はピカ一のこの食堂は、町の西はずれのボート ランプの隣にあった。ウエイターのレイ(”王様”という意味の名で一生暮らすのもいいよなあ。)に、オーナーのルーシーとその兄弟のギレルモは、行き過ぎなくらいに礼儀正しかった。私たちは彼らの親切に甘えて、閉店するまでずっとテーブルを陣取り(コンピュータのために)電気を使わせてもらった。そして夜は店の前の砂浜で寝かせてもらう。感謝! 素朴で少し地味な町だったが、地元の人は世話好きでいつも気前がよかった。ここで過ごした四日間はポジティヴな出来事がほとんどで、ついてなかったことはわずかだった。二日目に、大潮のため私のボートに水が入り沈みそうになったことがあった。助けを呼ばなくてはと思うが早いか、漁師と少年がやってきて水を掻き出すのを手伝ってくれ、状況はすぐに好転した。それにこんなこともあった。地元のスーパーに買い物に出かけた時、なんの気なしに魚を焼く網が欲しいと話していたら、偶然にも目の前で店員が網棚を弓のこぎりで切っていたのだ。こんな調子でずっと幸運続きだったのに、二日目の晩に私のボートのデッキから青いかばんが盗まれてしまった。その中には手持ちの服ほとんどと、現金250ドルが入っていた。大きな痛手ではなかったが、もうボートに何でもおきっぱなしで出かけるのはためらうようになってしまった。 英語テキスト:
朝食のあと、約24kmのパドル。ラスマニアス湾で、岩だらけの小さな二つの岬に挟み込まれた、この世のものとは思えないほど美しい場所を見つける。そこで夕食の魚を槍で取っていると、運よく金色のハタを見ることが出来た。(オレンジシャーベット色の体長1メートルの魚を見たことがあるかい?)――が、ねらいを定めることまでは出来なかった。その美しさに比例して、味も抜群の魚なのに!ごちそうを逃してしまった。 エリックとボブは、夜明け前の波一つない鏡のような海から、第一番目の島に向かって出発した。しかし、その翌日とあとの二日間はハリケーンミッチの影響で、強風がコルテス海をめちゃめちゃに荒らしていった。いまだあの2人が無事に横断できたかどうかはわからない。 訳:長谷川 祐希
10月29日 イルカ、逆風、そして終わりのないパドル:
30km以上はある大きな湾を横切る時は、永遠にたどり着かないような気になる。こういう場所で距離をつかむことは非常に難しい。この日も、15kmから28kmぐらいまで全然見当がつかなかった。くっきりとした陸と海の境界線以外のものは何も見えないので、計測不能な間隔だけがそこに残る。陸から10kmぐらいの所まで来て、ようやく自分が目的地に近づいているのがわかった。このサンラファエルみたいな湾を横断するのは精神的に疲れる。自分がどのくらい進んでいるのか目安にする陸標の近くを通ることはなく、右に見える湾は遙か彼方、目的地はさらに遠く、自分の心だけが先にあちら側で待っていた。 ふつう自然界の中で見られるこの類の動きは、何かが起こる前触れである。たとえば、サバンナで野火が迫ってくる前に、動物たちが雪崩を打つように逃げ出すというのもそうだ。私はもっと注意深くそのサインを読みとるべきだった。鯨が通ってすぐに海は波打ち始め、それから2分もしないうちに小渓谷から吹き荒れる伝説の西風が、コルテツ海のまん中で私たちのカヤックをおそった。約2km先の目的地に着こうとしていたその時、風は2時の方向から吹いてきた。風の中で上半身を前にかがめ、胴体を出来るだけ回転させながら低い角度でパドルした。海岸までの40分間は、死にものぐる いで突き進んだ。ジョンフィリップは先に進んでいた分、被害は少なかった。あまりにも激しい運動のせいで、背中の筋肉に全身の血が集まり、口から泡をふいて海岸にたどり着くと、ジョンフィリップは砂浜でぐったり横になっていた。15分の休憩のあと、再びカヤックに乗り、サンフランシスキート湾へ向かって出発した。 地図ではほんの小さなくぼみに見えるので、私たちは10分くらいのパドルで着けると思った。しかし、湾に入ってみると、45ノットの風に吹かれて泡立つ白波と3 kmはある入り組んだ湾が目の前に現れた。距離はたったの3kmだったが、波の高さは1m以上もあった。 人間の精神は、それが宿る肉体よりも強靱だ。3回、4回と続く強風に耐えられるのも精神力によるところが大きい。我慢大会のチャンピオンと負けた者、生き残る人間と犠牲になる人間の違いは、何度も潜在的な精神力を引き出し、肉体を意志に従わせる能力があるかどうかだ。専門的に言えば、エンドルフィン(モルヒネのような作用を持つ)といわれるホルモンが分泌されると、筋肉疲労と低血糖は抑えられる。これは、自分がどこにいるべきなのかわからせるために、後ろからけとばす練兵係軍曹みたいなものだ。
まわりを囲む絶壁と礁湖への最後の30分は、私の意志を試すかのような厳しい試練だった。船乗りたちは、この辺りの海で嵐から守ってくれる唯一の場所はこの入り江だと断言していた。しかし、もし嵐のどまん中に飲み込まれたら、入り江にたどり着くまでどんなにたいへんかは、彼らは言ってはくれなかった。そこへたどり着いたとき、私たちはもう死ぬほど疲れていた。サンディエゴから来た漁師たちと一人の消防士が私達の背中をたたき、迎えてくれた。そして、ここプンタサンフランシスキートでは、幸運にもモンテリーから来ていたウェイドと、パートナーである2人の海洋生物学者にばったり再会した。彼らと一緒に1キロ半ほど歩いたところにあるバーで、"天国"のフィッシュタコスを食べる。 ルーク・シュレンバーガー プロフィール 英語テキスト: 更新日:1999年4月21日 |
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