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Luke's journal

sunrise

ルーク遠征日誌

バハカリフォルニア 1998

beach

ルーク遠征日誌 ベリーズ編 /ホンジュラス編   /ニカラグア編 / コスタリカ編


1998年10月   プロローグ(出発)

第一週  ハイライト

第二週目 ウィラード湾からカンポカラマジェへ。

第三週目 バイーア デ ロスアンゼルス

10月23日―25日文明だって?電話がない!ジンベイザメはどこだ!?

10月23日25日 Baiha L.Aから出発

10月29日   イルカ、逆風、そして終わりのないパドル


1998年10月   プロローグ(出発)

  バハカリフォルニアのサンフィリぺから、少し南にある町からの出発だった。
私たちはそこに住んでいる友達の、そのまた友達の家で最後の準備をしていたが、出発日がきても何もできずにただじっと時が過ぎるのを待つしかなかった。天候が邪魔をしていたのだ。
  「事がうまくいかないのなら、買い物にでもいくしかないさ。」と父がいつも言っていた冗談をふと思い出し、ジョンフィリップと食料を買いに行くことにした。
  くたびれた食糧品店のレジの前には、太ったひげ面の店主がどっかりと座っていた。
「熟れたトマトはおいてないのかい?」と私は聞いた。 「ないよ。天気が良くないから、どこへ行ってもこんなトマトしかないのさ・・・。でも、アボカドはいいのがある。卵もあるし、コリアンダーもある。あんたらついてるよ。 昨日の晩、配達の車が来たからプリンスメロンも、マスクメロンだって・・ 。」
  このひげ面男と同様に、母なる自然も私たちが欲しがっているものをまるで与えてはくれなかった。満月・大潮・50ノット(1ノット=時速約1.8km)の風・2m近い波。私達の重量オーバーのカヤックに必要な穏やかな波以外はもうすべてそろっているのに・・・。打つ手なし。

  文明の便利さから離れるには、それなりの心の準備が必要になる。このときは2人ともまだ不安やためらいを吹っ切れずにいたから、この風は格好の言い訳になった。実際、新しい友人マイク・スコークとその細君リンダがとてもよくもてなしてくれたので、なかなか動き出す決心がつかなかった。本当に居心地のいい家で、2人はすばらしいホストだった。
  出発はそれから三日後に来た。荷物をあれこれカヤックに詰めている間、バハで私たちの世話をしてくれた人たちは浜辺にきちんと一列に並んでいた。 出会って間もないのに、彼らはまるで親戚みたいに私たちを抱きしめスニッカーズときれいに包まれたサンドイッチを差し入れてくれた。それをかばんに押し込んで、私たちは出発した。
  「カスク2000出航!」と私たちは叫び、力いっぱいパドルを動かした。19kmほど進んでから、浜へ上がりキャンプの準備を始めた。20分もするとマイクにリンダ、そしてその近所の連中がバーベキューセットやパスタサラダ、それにボックスワインをポンコツビーチクルーザーに詰め込んでやってきた。ヤッホー、遠征キャンプは最高!

  消えかけた炭のやわらかいため息のような音と、ひいてはよせる波の音を聞きながら私たちは眠りについた。1年半の準備期間にあった様々なことをしばらく思い返していたが、いつのまにか赤ん坊のようにぐっすりと寝ていた。やっと出発できたことがうれしかった。

英語テキストIntroduction (The departure)
訳:長谷川 祐希

 


第一週  ハイライト

三日目:

  空腹を満たされた満足感と37kmのパドルからくる疲労感に包まれながら、夕方2時間ほど浜辺に座ってぼんやりする。水平線を見ていると、不意に満月がでてきた。燃えるようなオレンジ色だ。すごい!

四日目:

  エンカンターダ島(魅了する島の意)に向かう途中、水面から飛び出した巨大な岩の塊の近くを通る。その岩一面がトドでいっぱいだったから、2人でトド島と名付けた。大きな凹型の絶壁が、ちょうどトドたちの円形劇場のようになっていて、うなり声や鳴き声が反響し、5km程離れたところからでもきこえた。約8mまで近づいたときは、あまりの鳴き声の大きさに耳がしばらく聞こえなくなったほどだ。今日の野営地は今までの中で最高だった。サンルイス島から突き出た細長い砂州にでると、その辺りの全景(約300度)が障害物なしで見えた。日が落ち、夕闇が迫ってくる中、朱色に染まる山を見ながらスズキのスープを作った。初の獲物で豪華な夕食!

六日目:

  新しくできた友人のヴェントリーニ夫妻のボートから、今日どでかいカワハギを釣った。バハで一番のでかさにちがいない。このヴェントリーニ夫婦、ラリーとマリーはウィラード湾に小さな土地を借りていた。そこからはターコイズカラーの海が見渡せる。この日は生魚をライム・チリ・その他の香辛料に漬けてみんなで食べた。これは典型的なメキシコ料理で、cevicheとよばれている。これだけでも十分うまかったが、パシフィコビールとすばらしい夕日がその味を一層引き立て、思わずうなってしまうほどのうまさ!

  地元の不動産屋のドンは、フェルナンデス家の頭領でウィラード湾の北半分を所有していた。107年前からフェルナンデス家は代々この土地を守り続けている。この辺りの景色の美しさを見れば、それも納得。

  翌日、ウィラード湾のヴェントリーニ家で握手と抱擁を交わして別れた。驚くほどに親切な2人だった。見ず知らず私たちに小型のトラックを貸してくれたりもした。(これは20年前に破格値で買ったという年代物だった。)その車で買い出しに出かけたが、モトクロスのコースみたいな凸凹道のせいでたった6kmの距離なのに20分もかかった。
  まったくの他人同士が、一日半ただひたすら話した。そして生まれた親近感と友情。私達は、彼らの生活(性生活も含めて)から子供のことまで何でもわかるようになり、自分の親戚よりも彼らについて詳しくなった。

英語テキスト: Highlights of week 1
訳:長谷川 祐希 訳者プロフィール

 


 第二週目 ウィラード湾からカンポカラマジェへ

  大波と向かい風の中、約30kmのパドル。くたくたになって陸へ上がり、クリフバー(スニッカーズみたいなもの)を持っててよかったと心の底から思った。今日は釣り糸をたらすチャンスがなかったので、しかたなく味気ないキャンプ用のインスタント食品を食べる。海岸にもがっかりした。大きな漁業用ボートの残骸がそのへんに散らばっていて、空き缶が40ノット(1ノット、時速約1.8km)の風に吹かれてはカラカラと音を立てていた。カンポカラマジェには、1kmほどの浜に漁場がある。そこで、ほったて小屋のコレクションと漁師を何人か見た。夕方になると騒々しくなった。船が漁から戻ってくるからだ。子供や日雇い漁師たちが私たちの方に向かって何か叫んでいた。今までで最悪の野営地。 その上、風が吹き出した。一晩中吹き続け、60ノットはある突風でテントとポールがやられた。1時間の睡眠時間。

  朝になってようやく風が弱まった。人なつっこそうなじいさんが、前歯しかなかったが100万ドルの笑みを浮かべながらこっちへやってきて、朝食をわけてくれた。パンケーキに、ドライフルーツと砂糖を煮詰めて作ったシロップだった。(今度キャンプするときにやってみてほしい。すごいテクニックだ。)
  おそらく、この男たちはL.Aやサンディエゴ周辺で鯖・貝類・エビなどを売って生活しているのだろう。妻や子供と別れて生活している男たちにとっては、特に厳しい生活に違いない。

英語テキスト: Highlights of week 2
訳:長谷川 祐希

 


第三週目 バイーア デ ロスアンゼルス

  先週は、大成功・大冒険・そして大不運を足して3で割ったような一週間だった。 ジョンフィリップが詳しく書いているので私はこれ以上この話題にはふれない。 ぜひ彼の日誌もチェックしてほしい。先週は私たちのカヤックも体調も最悪だったが、気分は最高だった。こんな美しい自然の中を崇高な目的を持って冒険していると思ったら、少々のことを辛抱するのはむしろ喜びだった。
  私たちはサンフィリペを出てから初めて、文明のあるところへ辿りついた。ここバイーア デ ロスアンゼルスには2・3日いるだろう。ホームページに載せる最新情報の準備の他、電話をかけたり、メールをチェックしたり、買い出しをしたりと、しなくてはならないことが山ほどある。最近きつい日が続いたので、少し充電するチャンスに恵まれてよかった。
  カンポカラマジェから先は、厳しい天候に加えて海水のコンディションなどを一層難しくする地形に悩まされた。今、エンジェル デ ラ グアルディアとバイア デ ロスアンゼルスへアプローチしたときの3日間のことを執筆している。
期待して待っていて欲しい。

訳:長谷川 祐希 

 


10月23日―25日 文明だって?電話がない!ジンベイザメはどこだ!?
バイーア デ ロスアンゼルスでの四日間

  出発してからの3週間の間、バイーア デ ロスアンゼルスが初の文明のある町になると信じていた。そして、ジンベイザメが年に4ヶ月間、プランクトンの豊富なここの海にやってくると聞いていたので、それも見られるとばかり思っていた。―が、そのどちらの期待も裏切られた。町で唯一の電話線はいかれている。
  サメはどこにいるのか全然見ることが出来なかった。が、それでも私たちは結構楽しんだ。十分休息もとったし、おもしろい連中にも会えた。それに、なんといってもうまい飯が食えた!
  どうやらサメの話には一杯食わされたらしい。地元の連中とある特定の白人たちがぐるになっていたのだろう。奴らはこの辺では見かけない男たちに近づいては、サメが年に4ヶ月この湾に来ると話し、毎日のようにもう見たかと聞くのだ。私達はサメと一緒に泳いだとか、背びれにつかまったヤツがいるという話を聞き、日をずらして三回も出かけたが、まったく出会わなかった。三回目など湾の終わりの河口まで行ったのに…。あーあ!おまけに、サメ探しをあきらめて泳いで帰る途中、小型のアカエイに右足の踵とその横側をしっぽの鋭いとげで切り裂かれた。泣きっ面に蜂。
  落胆した気持ちは海に沈めて足の痛みを和らげようと、浜辺で新鮮な貝を二つに割り、ライムをかけてほとんどやけ食いのように腹に詰め込む。

  ”ギレルモの店”が、私たちの事務所がわりになった。狭いが味はピカ一のこの食堂は、町の西はずれのボート ランプの隣にあった。ウエイターのレイ(”王様”という意味の名で一生暮らすのもいいよなあ。)に、オーナーのルーシーとその兄弟のギレルモは、行き過ぎなくらいに礼儀正しかった。私たちは彼らの親切に甘えて、閉店するまでずっとテーブルを陣取り(コンピュータのために)電気を使わせてもらった。そして夜は店の前の砂浜で寝かせてもらう。感謝!
  フレンドリーなガイジンたちが集まる場所を町の中に見つけ、私たちはいろいろな人に出会った。初めてそこに行った日には、同じくカヤックで旅をしているエリックとボブに会う。ここで出来た友人の中でも、特にジェイ、チャーリー、そしてその他のヴィルドゾーラ レーシングチームの面々(バハにいる1000人の少年たちの幸運を祈る!)、モンテリーの海洋生物学者ウェイド・スミス、サンディエゴから来ていたデータのアクセスや保管をする会社の社長ディビッド・シケイスは私たちのプロジェクトに興味を持っていろいろ話を聞いてくれた。ありがとう。

  素朴で少し地味な町だったが、地元の人は世話好きでいつも気前がよかった。ここで過ごした四日間はポジティヴな出来事がほとんどで、ついてなかったことはわずかだった。二日目に、大潮のため私のボートに水が入り沈みそうになったことがあった。助けを呼ばなくてはと思うが早いか、漁師と少年がやってきて水を掻き出すのを手伝ってくれ、状況はすぐに好転した。それにこんなこともあった。地元のスーパーに買い物に出かけた時、なんの気なしに魚を焼く網が欲しいと話していたら、偶然にも目の前で店員が網棚を弓のこぎりで切っていたのだ。こんな調子でずっと幸運続きだったのに、二日目の晩に私のボートのデッキから青いかばんが盗まれてしまった。その中には手持ちの服ほとんどと、現金250ドルが入っていた。大きな痛手ではなかったが、もうボートに何でもおきっぱなしで出かけるのはためらうようになってしまった

英語テキスト:
Civilization? No Phone! Whale Sharks, Where?! 4 Days in Bay of L.A.
訳:長谷川 祐希 

 


10月23日25日 Baiha L.Aから出発

  朝食のあと、約24kmのパドル。ラスマニアス湾で、岩だらけの小さな二つの岬に挟み込まれた、この世のものとは思えないほど美しい場所を見つける。そこで夕食の魚を槍で取っていると、運よく金色のハタを見ることが出来た。(オレンジシャーベット色の体長1メートルの魚を見たことがあるかい?)――が、ねらいを定めることまでは出来なかった。その美しさに比例して、味も抜群の魚なのに!ごちそうを逃してしまった。
  その代わりに捕まえた味のないスズメダイ(いよいよ食べるものがないときの最後の手段にする事をすすめる。)を焼きながら、私たちはお互いにねらいが外れて、逃してしまった魚の大きさを、大袈裟にいいあった。
  翌朝、いやいやながらそこから離れ、次の場所まで移動する。さらに22kmほどパドルしていくと、「オーイ!」。なんとエリックとボブに再会。釣りきちボブはブダイをきれいに洗ってフィッシュタコスの準備をしているところだった。私たちもそれに加わり、遠征キャンプで一番うまい料理となるものは、果たしてどんなものなのか見てみることに
  エリックとボブは、細身で荷物も少なくできるダブルカヤックで、チブロン島を横断する準備をしていた。その日は、彼らがこれからの三日間に立ち寄る予定の三つの島をながめながら、みんなでたき火を囲んで一晩を過ごした。私たちは、激しい潮の流れを和らげて進む舟の角度についてや、チブロン島を故郷と呼んでいたセリ族のこと、船乗りたちにとっては大変不吉な西風の兆候を空から予測する方法について話した。
  三つの島は日の暮れかかるなか、夕霧に包まれ遠く彼方へ消えていった。まるで、私たちがそれらの島について話しているのを知っているかのように。

  エリックとボブは、夜明け前の波一つない鏡のような海から、第一番目の島に向かって出発した。しかし、その翌日とあとの二日間はハリケーンミッチの影響で、強風がコルテス海をめちゃめちゃに荒らしていった。いまだあの2人が無事に横断できたかどうかはわからない。

訳:長谷川 祐希

 


10月29日   イルカ、逆風、そして終わりのないパドル:
サンフランシスキートへのアプローチ

  30km以上はある大きな湾を横切る時は、永遠にたどり着かないような気になる。こういう場所で距離をつかむことは非常に難しい。この日も、15kmから28kmぐらいまで全然見当がつかなかった。くっきりとした陸と海の境界線以外のものは何も見えないので、計測不能な間隔だけがそこに残る。陸から10kmぐらいの所まで来て、ようやく自分が目的地に近づいているのがわかった。このサンラファエルみたいな湾を横断するのは精神的に疲れる。自分がどのくらい進んでいるのか目安にする陸標の近くを通ることはなく、右に見える湾は遙か彼方、目的地はさらに遠く、自分の心だけが先にあちら側で待っていた。
  L.A湾からの3日間と距離感のわからないサンラファエル湾横断で感じたのは、苛立ちだった。この日もまだ30kmの距離が残っていたが、もう急がないことにした。2〜3時間ぐらいたったように思った頃(実際は3時間半以上だったが)、目的地がやっとぼんやりと見えてきた。
  私は機械のように全く同じフォーム、同じ間隔でパドルしていた。波のない海でこの動作をしている間はほとんど全てが静止しているような感覚に陥る。私の脳は半分しか機能していなかったので、まわりの様子が急激に変化していることに気づくのに10秒以上もかかった。無数のヒレ、水柱、そしてさえずるような声を出す黒いモノの間をパドルして、初めて何が起こっているのかわかった。何百ものイルカの群れが2
km先までずっと並んで泳いでいたのだ。そのイルカの群れは、私の3m手前から目的地まで流れる川のようだった。潮流に乗ってやってきたブリの群れを追っていたのだろう。イルカは水からジャンプしたり、潮を吹いたりしながら、彼らの餌になるブリの後ろを湾に孤を描くようにこっそりついてまわっていた。私はそのコースのちょうどまん中をうろうろしていたらしい。手を伸ばせば何匹でもさわることができた!
  イルカたちの間を縫うように進み反対側に出たが、私はすっかり圧倒されていて、300m先で何が起こっているのか気づかなかった。今度は鯨が潮を吹いていたのだ。この日、海の王国は私の目の前ですばらしいショーを上演してくれた。

  ふつう自然界の中で見られるこの類の動きは、何かが起こる前触れである。たとえば、サバンナで野火が迫ってくる前に、動物たちが雪崩を打つように逃げ出すというのもそうだ。私はもっと注意深くそのサインを読みとるべきだった。鯨が通ってすぐに海は波打ち始め、それから2分もしないうちに小渓谷から吹き荒れる伝説の西風が、コルテツ海のまん中で私たちのカヤックをおそった。約2km先の目的地に着こうとしていたその時、風は2時の方向から吹いてきた。風の中で上半身を前にかがめ、胴体を出来るだけ回転させながら低い角度でパドルした。海岸までの40分間は、死にものぐる いで突き進んだ。
  ジョンフィリップは先に進んでいた分、被害は少なかった。あまりにも激しい運動のせいで、背中の筋肉に全身の血が集まり、口から泡をふいて海岸にたどり着くと、ジョンフィリップは砂浜でぐったり横になっていた。15分の休憩のあと、再びカヤックに乗り、サンフランシスキート湾へ向かって出発した。
  地図ではほんの小さなくぼみに見えるので、私たちは10分くらいのパドルで着けると思った。しかし、湾に入ってみると、45ノットの風に吹かれて泡立つ白波と3
kmはある入り組んだ湾が目の前に現れた。距離はたったの3kmだったが、波の高さは1m以上もあった。
  人間の精神は、それが宿る肉体よりも強靱だ。3回、4回と続く強風に耐えられるのも精神力によるところが大きい。我慢大会のチャンピオンと負けた者、生き残る人間と犠牲になる人間の違いは、何度も潜在的な精神力を引き出し、肉体を意志に従わせる能力があるかどうかだ。専門的に言えば、エンドルフィン(モルヒネのような作用を持つ)といわれるホルモンが分泌されると、筋肉疲労と低血糖は抑えられる。これは、自分がどこにいるべきなのかわからせるために、後ろからけとばす練兵係軍曹みたいなものだ。

  まわりを囲む絶壁と礁湖への最後の30分は、私の意志を試すかのような厳しい試練だった。船乗りたちは、この辺りの海で嵐から守ってくれる唯一の場所はこの入り江だと断言していた。しかし、もし嵐のどまん中に飲み込まれたら、入り江にたどり着くまでどんなにたいへんかは、彼らは言ってはくれなかった。そこへたどり着いたとき、私たちはもう死ぬほど疲れていた。サンディエゴから来た漁師たちと一人の消防士が私達の背中をたたき、迎えてくれた。そして、ここプンタサンフランシスキートでは、幸運にもモンテリーから来ていたウェイドと、パートナーである2人の海洋生物学者にばったり再会した。彼らと一緒に1キロ半ほど歩いたところにあるバーで、"天国"のフィッシュタコスを食べる。
  その晩、体から寝袋をはぎ取ってしまいそうな強風と砂に吹かれながら、私たちはうたた寝した。

ルーク・シュレンバーガー プロフィール

英語テキスト:
Dolphins, headwinds and ever-distant points: the approach to SanFrancisquito
訳:長谷川 祐希  訳者プロフィール

更新日:1999年4月21日

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