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Jean-Philippe's journal

pelican

ジョンフィリップ遠征日誌

バハカリフォルニア1998

beach

ジョンフィリップ遠征日誌 ベリーズ編 /ホンジュラス編 /ニカラグア編 / コスタリカ編


10月27日  20日目 コソ泥と輝く穏やかな海

10月29日海の世界の、ある1日

11月25日 49日目 ペリカンダイビング

12月 9日 63日目  サンフランシスコ島

12月10日  64日目  横断

12月13日 67日目 ラパス到着


 

  いつもは朝5時半から6時半くらいの間に起き、5分後には活動を開始できるくらい目覚めがいい。しかし、なぜか今朝はなかなか起きられなかった。
  朝食の準備にルークがお湯を沸かし、僕のカップがどこにあるのか聞いた。変だ、彼のすぐそばにあったと思ったのに見あたらない。そこら中2人で探してあきらめかけた時、コヨーテの足跡を発見した。毎晩のようにコヨーテが僕達の周りをうろついていたことも、”こそ泥”の異名を持つことも知っていたから、小さなバック類はすべて大きい荷に縛り付けていた。が、まさかカップを盗むなんて思いもしなかった。そのマグカップは丈夫なだけではなく、フタ付で保温性にも優れていたから、すぐにはあきらめきれなかった。
  僕はマグカップを探すため丘を登り、砂浜を歩きまわった。ようやく、コヨーテらしき歯形のついたフタを発見したあと僕のマグカップを見つけた。
カップを良く洗い、やっとモーニング・ティーを飲むことができた。

  僕達はかなり遅く、11時半頃出発した。今日の目的地は21km程離れたラスアニマス岬だ。僕達は波のない穏やかな海を3ノット(1ノット=時速約1.8km)で進んでいた。海があまりにも穏やかだと、全く進んでいないんじゃないかと思うくらい距離が長く感じる。2時間ほどたった後、まだ半分しか来ていないことを知ってルークはショックを受けていた。
  僕達はGPS(ナビゲーションシステム)で位置を確認している。 GPSは、どのくらい来たのか、どのくらい行かなければならないのかを教えてくれ、僕達にとって不可欠な物の一つだ。

  穏やかな日はたいていお互い離れてパドルしている。僕がリードを取り、ルークは姿が見える範囲で後に続く。時々止まって彼を確認したり合図を送ったりする。たまに並んで進むこともあるが、たいてい話しが出来ないくらいの距離を保ってパドルしている。
  普通、出発時は2人並んで30分くらいウォームアップする。忘れないために日本語で会話を試みるが、結局は英語になる。その後離れてそれぞれ自分達の空間を楽しみながら進み、海が荒くなれば助けが必要な時のために近づいてパドルをする。
  今日、初めの2時間は楽に進めた。どことも知れない場所の真ん中にいて、自分の力でカヤックを前に進ませているなんて不思議な気分だ。頭の中では数え切れない程の考えが浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返している。街に住んでいた時に、こんなにたくさんの考えが頭の中を埋め尽くしていただろうか。多分いつか、その中のいくつかを紹介できる時があると思う。

  ラスアニマス岬を通り過ぎていた。何頭かの鯨が横切っていき、僕のすぐ近くまで潮が飛んできた。遠くにはシャチの群れがジャンプしながら泳いでいる。遠すぎて写真が撮れなかったのが本当に残念だ。
  僕達は小さな湾のビーチで休むことにした。私達を快く迎えてくれているかのように、イルカの群れがルークのすぐ近く2m先を泳いでいた。
ビーチにたどり着くと、同じようにカヤックでバハを旅しているエリックとボブがいた。彼らも同じビーチを選んでいたのだ。僕達は3回目の再会を喜び合った。

英語テキスト:Thieves and glassy flat wat


Wonder and Power, a Day in a Marine World

1998年10月29日海の世界の、ある1日(前半)

   朝8時、僕達はサンラファエル湾のビーチを後にした。今日は、小さな漁村でサメを研究している海洋生物学者のウェイドに会うため、この湾の向こう側にある岬まで約30kmをパドルする。
  10時くらいまでいつものペリカンとかもめ、時々見かけるカツオドリのほかは何にも見えなかった。僕達は毎日、違う種類の鳥を見つける。昨日の夕方は、サボテンの上でポーズを取っているハゲワシを見た。黒い羽と赤い頭、そしてバックグラウンドの砂漠と海の色とが鮮やかなコントラストを見せていた。

海は静かで風もそれほどなかった。こういう穏やかな日はパドルも単調になり、取り止めのない考えが、ボーッとした頭に浮かんでは消え繰り返す。突然、潮を吹き上げる音で我に返った。白昼夢から現実に戻り見上げると、先の方に潮を高く吹き上げながら数頭の鯨が泳いでいる。潮を吹いたかと思うと水の中に潜り、違う鯨がそれに続く。僕は仲間に入ろうと急いでパドルしたが、鯨達は待っていてはくれなかった。
  続いてイルカの小さな群れが数m先を泳いでいくのを見た後、今度は何かのヒレが海面から突き出ているのに気がついた。近寄ってみると一頭のトドが丸いおなかを水面から突き出し、仰向けになって休んでいた。こんな風にトドが休んでいる姿を初めて見たのは、バハの太平洋側をエド・ジレットと一緒にカヤックした時だ。その時僕は、仰向けになっているトドがてっきり死んでいると思い、カヤックで近寄って触ろうとした。そのとたん、トドは驚いて素早く僕のカヤックの真下に潜っていった。しかし、驚いたのはトドよりも僕の方だった。

  数分後、たくさんの小さい潮が吹き上げられているのが見えてきた。次第にそのたくさんの潮は何百という小さい噴水に変わり、しぶきが水面に飛び散った。初めは鯨かと思っていたが、気がつくとそこら中イルカだらけになっている。僕の前を横切っていくイルカの群れは、なんと幅が約10m(10〜15匹)、約2kmにわたる行列になって泳いでいた。イルカ達は僕の側まで来ると挨拶のためか、それとも僕が邪魔なのか、ピシャっと尾ヒレで水面を叩いていった。群れを横切るために少しずつ近づいたが、カヤックが進む度にイルカ達は群れの形を変え、弓状になってカヤックを避けるように泳いでいく。行き場のなくなった僕は、イルカの群れをしばらく眺めていた。
  10分ほど経ち、ようやく僕は気を取り直してパドルし始めた。今度こそ前に進むためにこの群れを横切りたかった。再び近づいていくとカヤックの影がサメに見えたのだろうか、一匹のイルカが突然ジャンプした。そのとたん、周りのイルカがいっせいにジャンプし始めた。2メートルくらいの高さになるだろうか、いたるところでイルカが飛び跳ねている。一瞬の出来事だったが息を呑むような光景が目の前で起こり、まるで夢でも見ているようだった。イルカ達は、何事もなかったようにすばやく泳ぎ去り、ゆっくりとまた列になって進み始めた。
群れが過ぎ去ってからも、まるで映画のようなジャンピング・シーンが頭から離れなかった。一体何匹いたのか見当もつかないが、300匹〜500匹、もしかするとそれ以上いたのかもしれない。
  興奮がまだ冷めないままにパドルをし続けていると、今度は水面が沸騰しているかのようにボコボコと動き始めた。何千匹というブリの大群が、そこら中をジャンプしながら銀色の小さい魚を追っているのだ。僕がパドルしている側で、ブリの群れは狂ったように次々と銀色の魚を食べていく。やがて数匹のイルカがこれに加わり、ブリが食べられる番となった。
しばらくして、穏やかな海に戻るかのように見えた時、また潮を高く吹き上げる音が聞こえた。さっきとは違う鯨の群れが遥か遠くに見えた。

想い描いていた海の世界と実際が、まさか同じように美しいとは思ってもいなかった。


  1998年10月29日海の世界の、ある1日(後半)

まもなくして前方にさざ波が見えてきた。もうすぐ強い風と闘わなければならないサインだ。1分もしないうちに、風が顔面を直撃した。全身に力を入れ、パドルをしっかり握り直し荒くなった波の中を進んでいく。ルークを確認するため素早く振り返ったが、彼は見えない。波の後ろに消えてしまったようだ。僕はルートを変更して、近くのビーチで彼を待つことにした。20分間荒波と闘って、ようやくそのビーチの前に来た。
  あたりを見渡したが、ルークの姿はまだ見えない。これ以上風が強く、波が高くなれば進むのは無理だ。沖に流されて、どこに居るのかさえもわからなくなる可能性がある。僕は、無線を使って助けを求める自分の姿を想像した。「きっと誰も応答しないだろうな。隣の漁村までカヤックで行って、ひどいスペイン語で説明して動きそうなボートを全部出してもらおうか・・・。」
  僕はビーチにたどり着き、カヤックを引き上げた。もうくたくただった。海を見渡してまたルークを探してみた。と、数分して荒波と戦い始めた彼を見つけた。彼は無事だった!波と風に苦しんでいるようだが、確実に前へ進んでいる。僕は胸をなでおろして、のどかな風景が続くこの砂浜を見渡した。ずっと続く砂浜の向こうに、大きくて丸い石が岬の前の海面から突き出ている。左にはサンロレンツオ島が見える。切り立った厳しい峡谷が周りを囲む荒々しい美しさを持った島だ。
  まもなくして、ルークが同じようにくたくたになりながら到着した。しかし、ウェイドに会うため僕達はまだパドルをしなければならなかった。飲料水もなくなっていたが、ポンプで海水を汲み上げるのに最低でも2時間はかかる。そんな時間はなかった。(注:僕達は海水から真水を作るためのポンプを持っている。1時間ポンプをして大体3リットルの飲料水が出来る。)

  15分ほど休憩して僕達は出発した。岩に囲まれているせいか横風もなく、風に押されるまま岬へ向かう。しかし、また強い向かい風が吹いてきた。それも前よりももっと強い。波がうねり、どんどん高くなってきた。全力でパドルを動かしているのにほとんど前に進まない。小さな漁村はないかと見回したが何も見えなかった。パドルを動かし続けると、小さい湾が現れた。顔面に波がまともに当たり、サングラスをかけていても海水が目にしみてほとんど何も見えない。僕達はもうへとへと疲れ切っていた。
  小さい湾に近づくと、灯台とボートと家が見えた。目的地ではないとわかっていたが、もうどうでも良かった。これを逃せばどこにもたどり着けないかもしれない。素早く深呼吸して流れに乗り、嵐の中を強引に前に進んだ。ルークは僕の後に続いている。灯台が近くに見えてきた。波は行く手を阻むかのように、絶えずぶつかってくる。全身の筋肉が爆発しそうだった。もう力が出ず、ルークにリードを任せたかったが、彼にもそんなエネルギーは残っていない様子だった。

  小さい湾の中心に入った時には、ぱったりと風が止んでいた。湾に守られた海に、美しいボートがとまっている。よれよれの僕達は、ゆっくりとビーチに向かってパドルした。やっとビーチに到着したが、僕はウェイドと会うのを楽しみにしていたから少しがっかりしていた。
  全身ずぶぬれ、喉はからから、空腹の状態でカヤックから降りた。すると、長髪の外国人が走り寄ってきた。ウェイドだった。彼は車を修理に出すため、彼の同僚と一緒にこの街に来ていたのだ。すごい偶然だ。
親切な漁師が僕達のカヤックをみてくれている間、彼らとビーチから少しはなれたレストランへ行った。湾に沈む夕日を見ながら、ホームメイドのナチョスとブリトーで空腹を満たし、バハとサメの話で夜がふけていった。

英語版テキスト:Wonder and Power, a Day in a Marine World


1998年11月25日 49日目 ペリカンダイビング

Pelican Diving

  干潮のおかげでビーチに小さな砂の堤防ができ、戻れなかった海水がせき止められている。近くではハゲワシが、僕の捨てた魚の骨をあさっている。ハゲワシはたいていバハの砂漠の丘陵を飛んでいるが、僕達は高いサボテンの上に止まっているハゲワシをよく見かける。背景のアースカラーとはまったく対照的なハゲワシの赤い頭と黒い羽が、とても印象的だ。
  さて、まもなくして違うハゲワシが仲間に入り、続いて1mくらい離れて、おこぼれにありつこうとするカモメが降り立った。僕達がビーチで魚をさばく間、カモメたちはいつも頭に来るほどうるさく鳴き叫びながら魚のあらを待っているのに、今回はなぜか静かだ。見ていると、カモメが少しづつハゲワシに近づいていく。カモメがけんかしているのをよく見かけていたから、もしかするとハゲワシを襲うのではないかと思った。と、気がついたハゲワシが頭を上げてカモメを見た。するとカモメの方も何かを悟ったらしく、さっと飛び立っていった。

  静かな海岸に戻るかと思った時、僕から20mも離れていない所で30〜40羽のペリカンの群れが爆弾のように空から海に飛び込んでいった。すごいスピードでくちばしからダイビングするため、そこら中に水しぶきが飛び散った。まるで、大きい石が水の中にどんどん落ちていくような大きな音だ。しかしペリカンの体は浮きやすいため絶対に沈まない。ペリカン達は頭だけを水の中に突っ込んで、餌取りに必死だ。頭を水面から戻すと、ほとんどのペリカンがくちばしで魚をつかんでいる。それから首をぐっと伸ばして魚を呑み込むと、魚がペリカンの喉を通っていくのがはっきり見える。呑み込んだ後で嬉しさを表すかのようにペリカンのしっぽがすごい勢いでぶるぶる左右に動くのが最高におもしろい。ダイビングから魚を食べるまで、おそらく1分もかかっていないだろう。更に数十羽のペリカンがこれに加わり、同じように海に飛び込んでいった。
  その、何十羽というペリカンが海へ飛び込んでいく音があまりにも大きくて、僕の近くにいたハゲワシは驚いてあさっていた骨を捨て、飛び去っていった。

  いつのまにか太陽が山の後ろに隠れ、空の色が濃いピンクに変わっていた。見渡すと、ターコイズブルーの海がオレンジ色へと姿を変えていく。頭上に広がるピンクの雲のグラデーションが、眩しいくらいに輝く湾の海に反射していた。

英語テキスト:When the hunter becomes hunted (前半)


1998年12月9日 63日目  サンフランシスコ島

  朝、風がまったく吹いていなかった。ゆっくりと朝食をとり、僕達は今日一日カヤックを休むことにした。ロレトを出てから初めての風がない日だ。休みといっても、今日の夕暮れまでに僕達のカヤックの点検と整備をしておかなければならない
  明日の朝、僕達は今までで一番長い距離のサンフランシスコ島からパルチダ島まで約40kmを横断するため、かなり早く起きなければならない。ここからほとんど見えないパルチダ島は、この第一ステージの最後の島になるだろう。

  僕達はもう少しで最終目的地のラパスに到着する。第一ステージが終わるだけなのだが、何とも言えない気分だ。事実、次のステージからが遠征の本番になる。これから行く熱帯の地域では今まで以上の困難と向き合わなければならない。海では波がもっと高くなり、陸では様々な病気(マラリア・コレラ等)やゲリラを心配し、虫にも悩まされるだろう。しかし、同時に熱帯林とそこに生きる野生生物・文化も変化に富んでいるに違いないと信じている。
  今、何とも言えない気分になるのは旅の終わりだからではなく、車が走り回るごみごみとした街の生活に戻らなければならないからだ。サンディエゴを出発してから初めての街。人口20万人のラパス到着は嬉しさの中にも何か僕の気分を重たくさせた。

  うーん。どうやら「虫」という字を書いたのがいけなかったようだ。この日誌を書いていると、ほとんど見えないくらいの小さいぶよが僕を襲ってきた。15分後、体中かまれてもう我慢ができなくなった。海に避難しようとノートを置き、急いでカヤックに積んである荷をおろした。重過ぎて1人では海岸まで引っ張れないからだ。ルークはハイキングに、ポール(アラスカ出身のカヤッカー。1人旅の途中私達と会い、一緒にパルチダ島に行くことになった。)は釣りに行っている。僕は本を掴むとすぐ、カヤックに乗り込み岸から離れた。結局、午後はずっとカヤックの上で本を読んでいた。まもなくして、ハイキングの後ポールと一緒に釣りをしていたルークがおいしそうなカツオ釣って戻ってきた。
夜、たき火をおこし、そのカツオを焼いて食べた。久しぶりのごちそうだった。

  明日、僕達は夜明け前に出発しなければならないのだが、その理由の一つは風だ。たいてい午後に強い風が吹くから、それを避けるためにも早く出たかった。しかし夜8時にはもう強風がふいていた。僕たちはは3時に目覚ましをセットし、それぞれの寝袋にもぐりこんだ。

英語テキスト:Isla San Francisco


Crossing

1998年12月10日  64日目  横断

  朝3時。アラームが鳴った。誰も動かなかった。2分後、またアラームが鳴った。しかし誰も動かない。強い風が吹き、まだ暗い空には星や半月を隠すかのように雲がかかっている。まだ寒かったが、3回目のアラームが鳴ると僕達は仕方なく暖かい寝袋からもぞもぞと這い出した。急いで朝食を食べてカヤックに荷を積み、4時には海の上にいた。準備も整い、後はパドルするだけだった。
  パルチダ島の灯台が僕達の目印になるとわかっていたが、万が一のため GPS (ナビゲーションシステム)をセットしておいた。夜明け前の闇の中、僕達はサンフランコシスコ島の海岸沿いをパドルし始めた。波が高くて上がったっり下がったり、波のうねりにもまれ続けた。昼間なら波の大きさがわかるのだが、真っ暗では全然わからない。
  僕達はサンフランシスコ島の先端を過ぎ、目印の灯台が見える所まで来ているはずなのに何も見えなかった。海が激しくうねり、遥か先を見渡しても見える物といったら夜の闇で黒っぽくなった海だけだった。
  位置を確認しようとGPSを取り出したが、なんと電池がなくなっていた。慌てたが、幸いなことに他の電池が手元にあった。コンパスも使いようやく位置を確認すると、ここから126度の方角に向けてカヤックしなければならなかった。ヘッドランプを点け、コンパスで再度確認しその方角にある星に向かって僕たちは進み始めた。ラッキーなことに風と波が僕達の後ろから来ていた。まだ暗い海でカヤックで波に乗り、僕達は前に進んだ。
僕にとってこの波の動きはなぜか心地よかった。多分、暗闇で見えない分余計に波の動きを体で感じ取れるからだろうか、新しい感覚を呼び起こされるようだった。
  高い波に押されるままに目標の星を目指して前に進んだ。時々雲がその星を隠してしまったが、何度がコンパスを確認し星の動きと地球の回転を考えてコースを設定し直した。

  1時間たった頃、風が一層強く吹き波も同じように高さが増した。そして星は夜明けとともに消えていった。朝日が昇り、視界が利くようになったがまだ陸は見えなかった。南にはパルチダ島が、北にはサンフランシスコ島、西にはバハがあるはずなのに一つとして見えず、僕達は3人ぽつんと大海に残されてしまったようだった。それでも高い波が絶えず僕達を強く押し続けていた。再度GPSを取り出し確認すると、今度は135度の方角に進まなければならなかった。どうやら流されていたか、コースを少し外れてパドルしていたらしい。しかしこの状況を考えれば、これだけのずれしか生じていないことの方が驚きだ。時間が経つにつれ波がだんだん見えてきた。高さ約2.5m時には3mにもなる高波が激しくうねり、白い波へと変わっている。そんな中を少しの間サーフカヤック(カヤックで波に乗る)で進んでいると、島が見えてきた。

  突然、後ろからルークの声が聞こえた。「マン、オーバーボード!マン、オーバーボード!」振り向くとポールのカヤックがひっくり返っていた。ポールはエスキモーロールで海面に戻ろうとしていたが、僕達が彼の所に着いた時にはすでにカヤックから脱出し、カヤックの上に腹ばいになって僕達を待っていた。ルークが海水でいっぱいになったポールのカヤックをひっくり返らない様に支えている間、ポールが乗り込みスプレースカートをつけた。そして僕がスプレースカートの上からポンプでカヤックの中の海水を汲み出した。
  全身びしょぬれで寒くて、汲み終わると僕達は急いでパドルをし始めた。

  今日はサーフカヤッキングには絶好の波だった。一度だが大きい波に乗り、僕のカヤックはスターン(艇尾)以外宙に浮いてまるでロケットのように前からきた小さな波を飛び越した。楽しくてやめられない。夜明け後ルークも波に乗り始め、楽しんでいるようだった。
  目的地まであと7kmほどのところで再びルークの声が聞こえた「マン、オーバーボード!マン、オーバーボード!」振り向いた時にはポールはエスキモーロールで海面に戻るところだった。彼は無事だったが、震えていた。ポールの新しいカヤックは彼が今まで乗った中で一番不安定なタイプで、幅が狭くスピードが出る分安定性には欠けていた。
  ポールの口数が少なくなってきた。転覆のショックが、彼のパドリングの力さえも弱めてしまっているようだった。ポールをサポートするため僕とルークは彼の両サイドで、その後パドルをし続けた。

  午前10時半に僕達はパルチダ島に到着した。ぐったり疲れていたが横断の成功が嬉しかった。島を取り巻く美しい海岸で、僕達は残りの半日を楽しんだ。

英語テキスト:The Rough Crossing


1998年12月13日 67日目 ラパス到着

  ラパスまで、最後の20kmをパドルするだけとなった。海は波もなく平坦で、工場のような建物以外特別目に入る物はなかった。天気もどんよりしていて、今までで一番退屈なパドルだ。僕達は無事ラパスのマリーナに到着し、何日間か倉庫に入れておくためカヤックを海から引き上げた。

  バハの手付かずの大自然・人々、全てを楽しみながら1030kmを9週間かけてパドルし、第1ステージの最終目的地ラパスに到着した。コルテツ海は全てにおいて僕達の期待に応えてくれた。
  遠征中、イルカのほかにシャチや鯨・小さなサメ・マンタ・アカエイ・海がめ、それからブリやカツオの群れなど様々な海洋動物と僕達は出会った。見ない日はなかったペリカンやカモメそしてハゲワシ・グンカンドリ・カツオドリも忘れてはならない。陸では夜間にたくさんのコヨーテやカンガルーネズミが現れた。もう一つ、新鮮な魚のほかに僕達の食生活を豊かにしたものはカニ・ウニ・ホタテ・カキそしてロブスター等、取りたての魚介類だった。
  もちろん、見たくても見られなかった動物もいる。サソリ・ジンベイザメ・シュモクザメだ。毎朝、サソリが這い出してくることを期待しながら僕達はカヤックシューズをゆすり”サソリ・チェック”をしていた。が、結局一度も見ることはなかった。

  文明社会に戻り、僕達はホームページを更新したり第2ステージの準備を始めたりしている。3月にはガリフナ族と会うためにベリーズへ行き、彼らと一緒に魚を釣ったり世界で2番目に大きい珊瑚礁でフリーダイビングをするつもりだ。続いてホンジュラス・モスキチアの深いジャングルへ入り、先住民の人々の生活を記録する予定でいる。カリブ海沿岸、モスキートコーストをカヤックで行くのは最大のチャレンジになると思うが、バハでの経験が生かされるだろう。砂漠が続くコルテツ海の海岸線から草木が青々と生い茂る水辺へと場を変え、僕達の遠征が再開する。

ジョンフィリップ・スレ プロフィール

英語テキスト:La Paz
訳:西山 晴美

更新日1999年7月27日

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